言語ゲームとは?

哲学
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今回は、哲学者ウィトゲンシュタインの後期の著書『哲学探究』で示された、「言語ゲーム」というのが、どういうものなのかについて解説していきます。

言語ゲームとは?

言語ゲームとは、日常生活を基盤として成り立っている会話のことです。

日常会話は、その中で生み出されるルールに従って行われるゲームに類似したものとして、言語ゲームと呼ばれます。

つまり、私たちは普段から、無意識のうちに言語ゲームを行っています。

日本語では「言語ゲーム」と呼ばれていますが、原文であるドイツ語では、「Sprachspiel」と呼ばれます。この「Sprachspiel」は日本語の「言語ゲーム」よりも、多くの意味を持っています。

まず、「Sprachspiel」は「Sprache」と「Spiel」の二つの部分に分けられます。

Sprache・・・言語、言葉、言い回しなどの意味を持ちます。

Spiel・・・遊び、ゲーム、遊戯、試合、競技、演技などの多様な意味を持ち、英語の「play」に近い単語です。

つまり、日本語では「言語ゲーム」と呼ばれていますが、実は様々な意味を持っているのです。

また、ウィトゲンシュタインによると、言語ゲームと言われるものすべてに共通する何かある一つのルール、すなわち言語ゲームの本質のようなものは存在しないのです。

様々な言語ゲームは互いに似通ってはいるが、それらに共通するものは存在しない。

言語ゲームと数列

ウィトゲンシュタインは、言語ゲームを説明する際に、数列を用いることがあります。

例えば、

1,2,4,8,・・・・・

という数列があると、多くの人は「数が2倍になっていく」と考え、「16,32,64・・・」と続くだろうと考えます。

しかし、上記の数列は必ずしも「数が2倍になっていく」数列とはかぎりません。

単に、「数が大きくなる」というだけの数列かもしれないし、8の後から突然並び方の規則が変わって、7,6,5,4・・・と数が減少していくかもしれません。

それでも、「常識的に考えたら数が2倍になっていく数列で間違いない」と多くの人は考えます。

これと同じことが、言語にも当てはまるのです。

日常生活での具体例

全ての会話は言語ゲームであるのですが、分かりやすい例をいくつか紹介します。

原初的な言語ゲーム1

ウィトゲンシュタインが「原初的な言語ゲーム」の例として挙げているものを紹介します。

ある人が、果物屋に行ったとします。そこで、店員に「赤い5つのリンゴ」と言ったとします。

この言葉を聞いた店員は、リンゴの入った箱から、赤いものを5つ数えて取り出して、客に渡して代金を要求するでしょう。

これは、日常で当たり前のように行われている会話ですが、これも言語ゲームなのです。

まず、客は「赤い5つのリンゴ」と言っただけで、「赤い」、「5つ」、「リンゴ」の意味や定義については一切話していません。

しかし、店員は客が何を言っているかを理解しています。
だから、言葉の定義や説明は、日常会話には必要ないのです。

また、今回の例では、客は「赤い5つのリンゴ(を下さい)」と言いたいわけで、(を下さい)の部分は勝手に省略しています。

しかし、店員は、「赤い5つのリンゴ」と言われても、客は「赤い5つのリンゴ」が欲しいということを理解しています。

もしかしたら、「赤い5つのリンゴ(が好きです)」と単に自分の好みを語っているだけかもしれないし、「赤い5つのリンゴ(は別に必要ない)」と思っているかもしれません。

それでも、この場合、「常識的に考えて客はリンゴが欲しいと思っているのだろう」と考えます。

他の可能性もあるように思えますが、「店員と客との会話」という言語ゲームの中では、「客が商品の名前を言ったら、客はその商品を欲しがっている」という暗黙のルールが存在するのです。

原初的な言語ゲーム2

ウィトゲンシュタインの著書『哲学探究』では、「赤い5つのリンゴ」以外にも、様々な言語ゲームの例が紹介されています。

次に紹介するのは、石材の言語ゲームです。

とある工事現場にて、一人の親方Aと、その弟子Bが石材で建物を建てようとしているとします。
石材には様々な種類があり、「台石」、「柱石」、「石版」、「梁石」があります。

実際に石材で建物を建てるのは親方Aであり、Bは資材置場からAに石材を渡します。

親方Aは持ってきてほしい石材の名前だけを叫びます。(「台石!!」のように)

それを聞いたBは、その単語に対応する石材を持ってくるように学習している。

これも原初的な言語ゲームの一例です。

今回の例では、親方Aの叫んだ「台石!!」という言葉には、「台石を持ってこい」という意味が含まれています。

しかし、例えば、幼い子供とその親がいたとして、親が台石を指さして「台石」と言った場合には、親の言った「台石」という言葉には、「これは台石である」という意味が含まれています。

つまり、「台石」という単語を考えても、使用される場面によって、意味が異なるのです。

これは、「全ての単語(言葉)には、辞書のように本質的な意味が存在する。」という考え方に矛盾するものです。

全く同じ言葉でも、使う場面によって、意味が変わってしまうのです。

これについて、ウィトゲンシュタインは『哲学探究』において、次にように述べています。

「意味」という単語が使われるーすべての場合ではないにしてもーほとんどの場合、この単語は次のように説明できる。単語の意味とは、言語におけるその使用である、と。
そして、名前の意味は、時には、その名前の担い手を指すことによって説明されることもある。

このウィトゲンシュタインの考え方は「意味の使用説」と呼ばれます。

ここで言う「使用」とは、「使用方法」というではなく、単語が使用されている「具体的な場合(ケース)」のことです。

要するに、言葉の意味とは、「言葉が使用されることによって初めて生まれるもの」であり、使用される以前には、何の意味も持たないということです。

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