今回は、なぜルールが存在するのかについて、解説していきます。
ルールは必要なのか
そもそもルールは必要なのでしょうか?
ルールといっても、憲法や法律のような成文化されたものと、暗黙の了解のような成文化されていないルールがあります。
まず、法律のような成文化されたルールには、人間の権利と責任が深く関係しています。
突然ですが、「法」と「権利」と「正義(正しさ)」という3つの言葉は、日本語や英語では明確に区別されていますが、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語など他のヨーロッパの言語では、全て1つの単語で表すのです。
これらの言語は、古代ローマの公用語であった、「ラテン語」から派生したものです。
そして、ラテン語で「ius」という言葉は、「法」、「権利」、「正義」などの意味を持っています。更に、「ius」は、英語やフランス語で「正義」という意味の「justice」の語源となっています。
つまり、ヨーロッパの様々な言語の元となったラテン語で、「法」、「権利」、「正義」は一つの単語で表現されていたのです。
本質的には、「法」、「権利」、「正義」は同じものだと考えられています。だから、法学者は法がなければ、正義も権利もないと言います。
だから、「法」というルールが存在しないと、「権利」を主張することはできませんし、そもそも何が「正義」なのかも分かりません。
人には良心があるからルールは不必要?

時々、「人間には良心というものがあるから、法律がなくても、問題ない」
というようなことを言う人がいますが、これは明らかに間違いです。
そもそも、法律が存在する現在でも、犯罪は0にはなっていないのに、法律をなくして改善するはずがありません。
また、これを示す有名な言葉として、イギリスの哲学者トマス=ホッブズの「万人の万人に対する闘争」というものがあります。
「万人の万人に対する闘争」とは、
政治的社会の成立していない自然状態では、各個人がそれぞれ自分の利益を追求するため、互いにあらゆる人為的制約から自由であると考え、その結果、無秩序な戦争状態におちいると説いたもの。
引用元:精選版 日本国語大辞典精選版
人間は利己的な生物です。
これは、少し考えれば当たり前の話です。
人間も、生物である以上、種の存続、繁栄を最優先に考えます。そして出来れば、自分の遺伝子を残したいと思うものです。
だから、自分の利益を追求するのは、生物として、当たり前のことです。
そう考えると、「人間には良心があるから、ルールは要らない」とは言えないと思いませんか?
コメント