今回は、20世紀最大の哲学者と言われるウィトゲンシュタインについて解説していきます。
ウィトゲンシュタインの人生
ウィトゲンシュタインの哲学について解説する前に、彼の人生を簡潔に紹介します。
ウィトゲンシュタインは、1889年にオーストリアのウィーンで生まれました。
ベルリンの工科大学で航空科学を学ぶが、数学と論理学に関心を持ち、ケンブリッジ大学でバートランド・ラッセルのもとで論理の基礎に関する研究を始めた。
※バートランド・ラッセル・・・アリストテレス以来最大の論理学者の1人であり、「ラッセルのパラドックス」で知られる。核廃絶に対する共通の想いから親交のあったアルベルト・アインシュタインと「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。
第一次世界大戦の際、オーストリア軍に従軍中に書きためた文章をまとめて、言葉の論理を分析した『論理哲学論考』を出版した。
一時、全ての問題は解決されたと考え哲学から離れて教師になったが、数年後にケンブリッジ大学に戻って哲学研究を再開した。
そして、『論理哲学論考』と並ぶウィトゲンシュタインの主著『哲学探究』において、ゲームをモデルとして日常言語を分析する「言語ゲーム」の概念を提唱した。
1951年、ウィトゲンシュタインはケンブリッジで死去した。最期の言葉は「素晴らしい人生だったと伝えてくれ(Tell them I’ve had a wonderful life)」だったそうです。
ウィトゲンシュタインの思想・哲学
写像理論
前期の『論理哲学論考』では、世界は事実の集合体であり、その事実を写し出す言語と事実の間には、一対一の対応関係が成り立つとされる。
そして、『論理哲学論考』の最後には、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という言葉がある。
言語と現実の事象は、正しい対応関係を持っているから、逆に、神や道徳など、現実の事象と対応しないものは、言語によって論理的に語ることはできない。
従来の哲学は、神や道徳などの、「語りえぬもの」について語ろうとする矛盾を抱えたものであり、我々は、語りえないものには、沈黙を守るべきである。
言葉で考える人間にとって、言葉で語ることのできる世界しか、人間は考えることはできない。
「沈黙せねばならない」とは、言葉を超えた語りえない世界の神秘を、沈黙の中で暗示している。
言語ゲーム
後期の『哲学探究』では、写像理論は否定され、言語は事実を示すものではなく、日常生活における人々の会話の中で機能するものとされる。
日常会話は、その中で生み出されるルールに従って行われるゲームに類似したものとして、言語ゲームと呼ばれる。
会話は、生活の中のルールに従い、そのルールは当事者のみが説明できるものであり、第三者から見ると意味不明なやり取りとなっている。
言語には本来意味はなく、生活において言語を使用する中で生まれるものとした。
また、言葉は、日常生活の脈絡の中に織り込まれた、生活の一形式(スタイル)として機能する。
我々は会話のゲームをしながら、生活や習慣の中で自然にルールを習得する。
外からゲームのルールを理解することはできず、ルールを理解しようとする行為自体が一種の言語ゲームであるから、我々は会話のゲームに参加しながら、言語のルールを学ぶしかない。
コメント