今回は、ニーチェの格言「事実なるものは存在しない、あるのは解釈だけだ。」について解説していきます。
実は、訳し方によって微妙に違って、色々な言い方があります。
- 事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけだ。
- まさしく事実なるものなく、あるのはただ解釈のみ。
- 事実はない、あるのは解釈だけだ。
そもそも事実とは?
そもそも、事実とは一体何でしょうか?
大辞林によると、
1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。「意外な事実が判明する」「供述を事実に照らす」「事実に反する」「事実を曲げて話す」「歴史的事実」
2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。
[副]本当に。実際に。「事実一度もその人には会っていない」
引用元:大辞林
となっています。
今回の、ニーチェの格言に出てくる「事実」は2番の意味です。
少し難しい説明なので、他の辞書も見てみましょう。
精選版 日本国語大辞典によると、
哲学では、特に、必然的にあることや、単に可能としてあることと区別される。
引用元:精選版 日本国語大辞典
となっています。
そして、辞書の代表とも言える、広辞苑によると、
〔哲〕(factum ラテン・fact イギリス)本来、神によってなされたことを意味し、時間・空間内に見出される実在的な出来事または存在。実在的なものであるから幻想・虚構・可能性と対立し、すでに在るものとして当為的なものと対立し、個体的・経験的なものであるから論理的必然性はなく、その反対を考えても矛盾しない。
引用元:広辞苑
と書かれています。
広辞苑では、事実は神の作ったものとされているようです。
「神の視点」を否定したニーチェが、事実を否定するのも当然のことと言えるかもしれません。
事実がないってどういうこと?
多くの人は、「事実はある」と思っているでしょう。
例えば、「1+1=2」というのは、誰が見ても明らかな事実のように思えます。
しかし、ニーチェは「事実は存在しない」と言いました。
これは、いったいどういうことなのでしょうか。
これには、「世界」が深く関わっています。
昔の哲学者たちは、全ての生物は同じ世界に住んでいると思っていました。
現在でも、多くの人はそう信じています。
人間は、他の生物に比べて知的レベルが高いので、世界をより正確に認識できるのだと考えていました。
しかし、これは人間特有の世界観にすぎません。
実際には、
人間の感覚器官と脳の仕組みが世界を作っているのです。
つまり、認識の主体の数だけ、無数の解釈が存在します。
だから、唯一の事実なんてものは存在しないのです。
先程例に挙げた「1+1=2」というのも、小学生以上の人間なら、誰もが「事実だ」と思うかもしれませんが、生まれたばかりの赤ちゃんには、全く理解できません。
更に、人間の言葉や文字を理解できない他の生物からしたら、「1+1=2」というのは、事実でもなんでもない、ただのインクの染みであったり、謎の模様であったり、炭素の塊だったりするわけです。
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