アクラム・ナドウィという偉大なイスラム学者について

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今回は、イスラム教の歴史を変えるイスラム学者アクラム・ナドウィ(Mohammad Akram Nadwi)について紹介します。

アクラム・ナドウィとは?

アクラム・ナドウィ・・・1963年生まれのイスラーム学者で、ケンブリッジ・イスラーム・カレッジ学長、アル・サラム研究所校長、マークフィールド高等教育研究所名誉客員研究員を兼任しています。

彼はインドとサウジアラビアで勉強し、ウルドゥー語、ヒンディー語、ペルシャ語、アラビア語、英語を話すことが出来ます。

アクラムは、保守派の人々を憤慨させ、革新主義者たちを落胆させる伝統主義者。イスラム教の一夫多妻制を容認する女権擁護者。
西洋流の個人主義を弁護しない個人的良心の弁護者。
イスラム教固有の学識と古典に依拠する限りでのクリエイティブ思考推進論者です。

コーランと預言者ムハンマドのスンナに還るべきだと言っていることからサラフィーと呼ばれることもあります。
※サラフィー・・・厳格で禁欲的なイスラム教徒で、原理主義者と結び付けられることが多い。

アクラム・ナドウィの生涯

ナドウィ氏は、インドの偉大な学者であり思想家であるムーラナ・ハミドッディン・アル・ファラヒが創設したマドラサ・アル・イスラでイスラム教育を始めました。
そこで最初の勉強をした後、権威ある神学校であるナドワトゥル ウラマーに進学しました。
彼は、BA ‘Alimiyyah DegreeとMA in Hadith Studiesを第一級の優等で修了し、クラスのトップになりました。
当時の院長であったShaykh Abul Hasan ‘Ali Nadwiから直接教壇に立つように任命された彼は、ナドワトゥル・ウラマーで教鞭をとる傍ら、ラクナウ大学で経済学を学び(学士)、アラビア文学の博士課程を修了した。

1989年、シェイク・アブル・ハサン・ナドウィの要請により、オックスフォード大学イスラーム研究センターに研究員として入所しました。
彼は、数多くの研究論文に加え、言語、法学、クルアーン、ハディースの分野で30以上の著書を出版、翻訳しています。
2013年にはオックスフォード大学の職を辞し、古典的なハディースの名著『サーヒ・ムスリム』に関する包括的な解説を含む自身の著作に専念している。

ナドウィー博士は、30年以上にわたって著作と教育の経験を積んできました。
アラビア語文法(Al-Nahw)、形態学(Al-Sarf)、ターフシール、ハディース、フィクスの原理(Usul)に関する彼の入門書は、世界中のマドラサ、イスラーム学院、大学でアリミヤ(イスラーム学位)の学生を教える際に使用されている。
また、多くのイスラム系大学のカリキュラム開発にも協力している。

アクラム・ナドウィと寛容の精神

コーランは、婚姻外の性的関係を大罪としています。
ある時、未婚の娘が妊娠したと言って半狂乱になった人が、アクラムに助言を求めました。
彼は、「気の毒なことに、この女性が罪を犯したことは事実です。死後にしかるべき処遇を受けることになるでしょう。」と言った後、「しかし、この世の、今生における親の役割は、娘の人生を楽にしてやることだ」と言って、娘を助け、支えてやるように、この世では裁くことのないように言ったのです。

アクラムの寛容とは、「何人にも自由はなく、何人も他人を裁く権利を持たない。人を裁く権利を持つのは神だけだ」という神中心の宇宙への信念でした。

アクラムは当初、預言者ムハンマドが6~7歳の少女アーイシャと婚約し、彼女が9歳の時に一緒に暮らし始めたが、彼女は生涯幸福に暮らしたことから、少女本人の同意があれば、幼児結婚を認めていました。
未婚の状態で母になるよりは、結婚して夫の経済的、社会的保護を受けた方が良いと考えていました。
しかし、オックスフォード大学でイスラム学者になるためにアクラムのもとで学んでいる二人の女子学生と幼児結婚について何週間も議論を続けた結果、彼は見解を修正し、幼児結婚に反対することにしました。
その根拠として、8世紀の裁判官・法律家のイブン・シュブルマが幼児結婚の慣行に反対するファトワーを出していたことを発見しました。

シェイクが見解を変更すると宣言するだけでも異例なことであり、それが女子学生と議論した結果だというのは極めて珍しい事例でした。

※シェイク・・・「長老」という意味。宗教的知識人や部族の長に対する敬称。

※ファトワー・・・イスラムの学者が提示する、拘束力を持たない法学的意見。

静寂主義者

彼は、いわゆる「過激主義者」ではないが、ある意味、過激な静寂主義者ではあります。
彼は、政治と宗教を結びつけることを嫌います。
彼は、礼拝や信仰そのものを禁止されない限り、地域の法律には従うべきと考えています。
究極的には、イスラム教徒は政府にも、自分自身の欲求にも服従すべきではなく、アッラーにのみ服従するべきなのです。

彼は、政治への無関心を勧めているわけではありません。
彼がインドにいた頃、信者から誰に投票したらいいかとよく聞かれたが、彼は肩をすくめて、自分が国の発展に役立つと考える政党に丸を付けたらいいと言いました。

彼は、イスラーム法(シャリーア)の法制化にも反対しています。
シャリーアを押し付けても、人々の間に信仰が構築されることはないからです。

真の敬虔さはイーマーン(正しい信仰)であり、自主的な信仰です。
彼は「もしあなたの心の奥深くにイーマーンがあるのなら、国家も権力もあなたからそれを奪うことはできません。」と述べ、しかし、国家がイスラム教を押し付けるなら、偽善が入り込むと述べています。

参考

・コーランには本当は何が書かれていたか? 2015/9/28
カーラ パワー (著), Carla Power (原著), 秋山 淑子 (翻訳)

CAMBRGDGE IALMIC COLLEGE College Dean

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