イスラム教は現代社会では、多くの人々から女性差別的な宗教だと見なされており、実際、イスラム教徒の中には現在でも、女性は宗教の問題に関わるべきではないと考えている人たちがいます。
しかし、イスラム教の形成期には、膨大な数の女性学者が活躍していたことが近年の研究で明らかになっています。
歴史に埋もれた女性たち
インド出身のイスラム学者ムハンマド・アクラム・ナドウィ(Mohammad Akram Nadwi)氏は『アル=ムハッサディート イスラムの女性ハディース学者たち』(Al-Muhaddithat: The Women Scholars in Islam)という女性学者の人名辞典を完成させました。
この人名辞典は預言者ムハンマドの時代から今日までの9000人以上の女性学者について記した57巻にも及ぶ大作となっています。
作者のナドウィ氏も、研究を始める前は「せいぜい20人か30人くらいだろう」と考えていましたが、15年間も研究を続け、9000千人以上の女性学者の存在を世に知らしめることとなったのです。
ユダヤ教やキリスト教がほとんど男性によって支配されていたことを考えると、形成期に女性が中心的な役割を果たしたイスラム教は、非常に珍しい。
歴史に埋もれた女性学者たちの一例を紹介します。
・中世のモーリタニアでは数百人もの少女がムダッワナ(有名なフィフクの本)を暗唱できた。
・11世紀エジプトのある女性学者は教え子たちから「ラクダ一頭分の宗教書に精通している」と讃えられた。
・中世のサマルカンドでは、父からハディースとフィフクを教わった女性が法廷で審理を行い、ファトワーを出した。
・10世紀のバクダットに生まれた女性学者が、シリアやエジプトに旅して女性たちに教えた。
・15世紀のメッカの女性学者はアラビアの様々な場所で教えていた。
・13世紀の法学者ファーティマ・ビント・ヤフヤの夫(法学者)は、難しい訴えがあると妻に助言を求めた。
上記以外にも膨大な数の女性学者が発見されましたが、名前の分からない人も数多く存在します。
※フィフク・・・理性に基づく法規定。変更され得る。
※ハディース・・・預言者ムハンマドの言行。コーランに次ぐ権威を持つ。
※ファトワー・・・イスラム学者が提示する、拘束力を持たない法学的意見。
なぜ歴史に埋もれたのか?
西洋文明において、歴史書を書くのはほとんど男性であったため、1960年代にフェミニズムの歴史家が女性の業績を発掘し始めるまで、女性の偉人や学者に関する情報はほとんど知られていませんでした。
一方、イスラム世界では女性の慎み深さが讃えられていたため、伝統的にイスラム教徒の多くは、妻や娘の名前が公表されることを嫌っていました。
女性を公衆の目に触れないようにしようという努力が続く中で、学識ある女性たちの生涯と業績は、ほとんど記録されることもありませんでした。
今日でも、イスラム教徒の中には妻や娘の名前を印刷物に記したり、公共の場で明かしたりするのを望まない人がいて、○○(男性)の妻・娘・姉・妹のように表記されることもあるため、名前の不明な女性学者が数多く存在するのです。
イスラム世界の変革
イスラム教徒にとって、過去のイスラム教の姿は、単なる歴史ではなく、現在の自分たちの生活のあり方に関わるものです。
現在、進歩派やフェミニストのイスラム教徒が、イスラム世界の家父長制を厳しく批判していますが、彼ら(彼女ら)は、保守派のイスラム教徒から「西洋かぶれ」「伝統を破壊しようとしている」と非難されており、中々イスラム世界の変革は進みません。
一方、アクラム・ナドウィ氏は伝統的なマドラサでイスラム教を学び、コーランやハディースを重視する伝統主義者でありながら、家父長制に厳しい目を向け、女性の権利を擁護します。
彼は、女性の解放が第一目標ではなく、コーランやハディースの教えを実践することで、結果的に女性の権利が守られるようになると考えています。
「西洋の文化を模倣する」わけではなく、イスラム教の教えを純粋に守ろうとするアクラム氏の姿勢は、多くの保守的なイスラム教徒の考えを変える可能性があります。
アクラム氏が起点となって、今後イスラム世界における女性の立場が、大きく変わっていくかもしれません。
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