現代社会において、イスラム教は女性蔑視的な宗教であると多くの人は考えています。
実際、サウジアラビア王国のような厳格なイスラム教国家では、女性の権利や自由は大幅に制限されています。
しかし、イスラム教の聖典コーランには、男女平等や女性の権利を認める項目が複数存在します。
男女平等に関する記述
人びとよ、おまえたちの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。あなたがたはアッラーを畏れなさい。かれの御名においてお互いに頼みごとをする御方であられる。また近親の絆を尊重しなさい。本当にアッラーはあなたがたを絶えず見守られる。
コーラン第4章1節
男性も女性も、一つの魂(一人)から創られたという記述は、両性が同じ魂を持ち、同じ創造主を持つことを示しており、出自において、男女の差異が存在しないことを表しています。
男の信者も女の信者も、互いに仲間である。かれらは正しいことをすすめ、邪悪を禁じる。また礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、アッラーとその使徒に従う。これらの者に、アッラーは慈悲を与える。本当にアッラーは偉力ならびなく英明であられる。
コーラン第9章71節
アッラーは、男の信者にも女の信者にも、川が永遠に下を流れる楽園に住むことを約束された。また永遠の園の中の、立派な館をも。だが最も偉大なものは、アッラーの御満悦である。それを得ることは、至上の幸福の成就である。
コーラン第9章72節
コーランでは、男女は仲間(盟友)であると述べられており、一方的な上下関係ではありません。
また、男女共に楽園に住むことが約束されていることからも、男女平等な宗教であることが分かります。
預言者の妻の一人、ウンム・サラマーが、ある時預言者に「神が女性ではなく男性にばかり話しているのはどうしてなの?」と尋ねたところ、直後にこれに応えるような啓示が降りました。
誠に男の帰依する者(ムスリム)たちと女の帰依する者(ムスリム)たち、
コーラン第33章35節
男の信仰者たちと女の信仰者たち、
男の服従者たちと女の服従者たち、誠実な男たちと誠実な女たち、
忍耐する男たちと忍耐する女たち、
謙虚な男たちと謙虚な女たち、
喜捨をなす男たちと喜捨をなす女たち、
斎戒をする男たちと斎戒をする女たち、
己の陰部を守る男たちと守る女たち、
アッラーを多く想念・唱名する男たちと想念・唱名する女たち、
アッラーは彼らに御赦しと大いなる報酬を用意し給うた。
※斎戒・・・イスラーム暦9月=ラマダーン月の日中に行なわれる断食と禁忌
イスラム教の教えを実践する者は、男女の区別なく、等しくアッラーの御加護を賜ることができるのです。
論争になっている記述
コーランの中には、上記のように男女平等を基本とする記述がある一方で、イスラム教に批判的な人たちから「前近代的で、女性差別だ」と批判されている記述も存在します。
男は女の監督者(擁護者)である。それはアッラーが、一方(女性)よりも多くのものを他方(男性)にお授けになり、彼らが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめならこれを寝室に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようならばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。本当にアッラーは極めて高く偉大であられる。
コーラン第4章34節
上の記述は、イスラム教徒の中にも批判する人が存在し、様々な解釈がなされています。
「男は女の監督者である」という記述から、「男性は女性に対して絶対的に優位な存在である」と主張し、女性は男性より劣る存在だと考えるイスラム教徒も存在します。
一方で、伝統的なイスラム教学者で、コーランやハディース(預言者ムハンマドの言行をまとめたもの)の研究をしているアクラム・ナドウィ(Akram Nadwi)氏は異なる見解を示しています。
彼は、「監督者」という言葉には、男性は世帯維持のための金銭的責任があるという意味しかないと考えています。
「監督者」である男性は単に女性よりも権力があるというわけではなく、むしろ社会的責任を負わなければなりません。
・モスクの指導者が招集をかけたら男性は行かなければならない。
・男性はジハードに参加しなければならない。
・男性は金曜礼拝に参加しなければならない。
女性は、上に上げた3つは全て自分の意志で参加するかどうか決めることが出来ます。
これは、女性だけが妊娠、出産を行うため、女性には男性のように自由に行うことができない事柄があるからです。
また、男性(夫)が反抗的な女性(妻)を叩いてもいいと読めるような記述についても、アクラム氏はハディースやイスラム法学に基づいて以下のように解釈しています。
まず、この文は女性を叩く(打つ)ことを推奨しているわけではありません。
しかし、仮に必要な場合には、女性を打つ前に夫は3つの段階を踏まなければなりません。
第一に、女性と和解するよう努める。次に、夫・妻両方の家族に打ち明け、問題の解決を図る。それでも駄目なら、一緒に寝ないようにする。(妻との性行為を控える)
それでも問題が解決しない場合にのみ、初めて打つことが出来ますが、これには3つの条件があります。
1.怒りながら打ってはいけない。・・・怒っている時に懲罰するとすれば、その対象は自分自身であるべき。
2.自分自身を利する(ストレス解消など)ではなくて、相手を良くするために打つ。
3.打つのは単なる身振りであって、相手に痛みを与えてはいけないし、怪我をさせてはいけない。
打つまでに長い過程を経て、厳格な制約を守らなければ打てないので、イスラム法に従う信者の世界に女性を打つ人はいません。
しかし、現実には自分の怒りに任せて女性を打つ人がいますが、それはイスラム教の教えを実践しているとは言えません。
更に、預言者ムハンマドは一度も妻たちを打たなかったため、ムハンマドをイスラム教の教えを実践する手本としているイスラム教徒は、ムハンマドを見習うべきなのです。
最良の衣服はタクワーを着ることである。
※タクワー・・・神を畏れること。
要するに、ヒジャーブやニカーブの着用よりも、神を畏れることこそが、イスラム教徒にとって最も大切なことなのです。
参考
・コーランには本当は何が書かれていたか? 単行本 – 2015/9/28
カーラ パワー (著), Carla Power (原著), 秋山 淑子 (翻訳)
原題:If the Oceans Were Ink: An Unlikely Friendship and a Journey to the Heart of the Quran
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