古代ローマのポモナ祭とは?実際には存在しなかった?

歴史
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古代ローマのポモナ祭は、長きにわたって、ハロウィーンに影響を与えた祭だと考えられてきました。

しかし、近年の研究では、そもそも「ポモナ祭」という祭が存在しなかったのではないかという説が有力になっています。

今回は、そんな古代ローマのポモナ祭について解説します。

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ポモナとは?

ポモナ(pomona)とは、古代ローマの詩人オウィディウスの最高傑作とされる『変身物語』(英語:Metamorphoses)の中の一つの話「ヴェルタムナスとポモナ」(VERTUMNUS AND POMONA)に登場する女神です。

『変身物語』(Metamorphoses)・・・全15冊、250以上の神話で構成された詩で、ギリシア・ローマ神話の登場人物たちが様々なものに変身してゆくエピソードを集めた物語となっている。
西洋文化で最も影響力のある作品の一つで、『神曲』のダンテや、『カンタベリー物語』のチョーサー、シェイクスピアやグリム童話にも影響を与えたとされる。

『変身物語』の中で、ポモナの特徴について語られています。

この王(プロカ)の下にポモナが住んでいたが、ラテン系のハマドリアッド(木の妖精)の中で、これほど巧みに庭を手入れした者はいなかったし、これほど実のなる木に気を配った者もいなかったので、彼女の名が付けられた。
彼女は森や川を気にせず、国やおいしい実をつける木を愛した。
彼女の右手は槍の重さを感じたことがなく、いつも鋭く曲がった剪定ナイフを愛用し、ある時は大きく伸びすぎた新芽を刈り取り、またある時は枝の帽子を減らす。
ある時は大きく育ちすぎた新芽を刈り取り、またある時は伸びきった枝を減らし、ある時は樹皮を割って吸盤を接ぎ木する。
また、樹皮を割って吸盤を接ぎ木したりして、見知らぬ若い木に栄養を与えていました。
彼女は根っこの曲がりくねった部分に、流れてくる新鮮な水で水やりをするので、彼らが渇くことはありませんでした。
このようなことが彼女の楽しみであり、最大の関心事でしたが、愛を求める気持ちは微塵もありませんでした。
しかし、田舎者の暴力を恐れて、彼女は果樹園を壁で囲ってしまいました。
男性の接近を禁じ、逃げ回っていました。

ポモナの名前は、ラテン語で「果樹」を意味するpōmus、「果実」を意味するpōmumに由来しています。
後世、pomumがリンゴを指すようになったため、ポモナはリンゴの女神とされましたが、実際にはすべての木の果実の女神です。

ヴェルタムナスとポモナ

ヴェルタムナスは季節、変化、植物の成長、庭園や果樹の神で、農夫、漁師、収穫者、そして老婆に姿を変えて、ポモナに求愛しました。

最後の姿で、彼は初めて自分の美徳を熱弁し、懇願しました。

しかし、ポモナは頑なに拒否し続けたため、彼はアナクサレテの話をしました。

アナクサレテは自分の恋人のイフィスにあまりにも冷たくしたため、イフィスは首を吊って死にました。
そしてアナクサレテはイフィスの葬列が通り過ぎるのを見ている間に、大理石の像に変わってしまいました。

最後に、ヴェルタムナスは元の姿に戻ると、ポモナは彼の話と美しさに心動かされ、妻になることを承諾しました。

中世以降のポモナ

ローマ帝国後の時代には、ポモナは芸術家に讃えられました。

ポモナは、一人、あるいは他の神々と一緒に、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ティツィアーノ、など、様々な人々によって描かれました。

また、ポモナはミルトンの『失楽園』(1667年)でも言及されていることから、ポモナが当時よく知られていたことが分かります。

ポモナ祭は存在したのか

ポモナを主要な祝祭に値する女神とする考えは、19世紀頃から主に詩人によって広められました。

ウィリアム・モリスは『ポモナ』という詩で、彼女を「古代のリンゴの女王」と呼びました。

初期のハロウィーンの本では、ポモナはハロウィーンに影響を与えたと言われることがあるが、その歴史は曖昧です。

例えば、1919年の『ハロウィーンの本』でルース・エドナ・ケリーは、「祝祭については多くは知られていない、しかし、・・・多くは推察されるだろう」と書いています。

1950年代、60年代までに、ポモナはサーウィン祭とほぼ同様の影響をハロウィーンの歴史に与えたと考えられるようになりました。

例えば、1963年のハロウィーンに関する本でリリー・パターソンは、ポモナはローマの「最大の」祝日であると述べ、さらに「ローマ人は自分たちと一緒に、彼らの祝日もイギリスにもたらした」と述べています。

この祭りは通常、11月1日に開かれ、木の実やリンゴを食べて祝うと説明されます。

存在を疑う根拠

19世紀~20世紀にかけて、ハロウィーン関係の本で、「ポモナ祭」という祭が語られてきたが、近年では、存在が疑われています。

ポモナ祭が実際に存在したという根拠は今のところ皆無なのに対して、存在しなかった可能性を示す根拠は複数存在します。

実際のローマ暦には、ポモナを祀る祝祭は記載されておらず、この目立たない神話的な像を巡る儀式についてはほとんど知られていません。

ローマの祝祭の標準的なガイドである『祭暦』は、紀元前8世紀に著者のオウィディウスが皇帝に追放されたために、1年の前半しか書かれていません。

一方、『古代ローマの宗教における諸段階』において、シリル・ベイリーは、ポモナは「古い暦には祝祭について記載されていない」と述べています。

また、W・ウォルド・ファウラーは、『共和国期のローマの祝祭』において、「ローマの1年の全ての月の中でも、11月は宗教的な重要性が最も小さい。この月に、畑を耕し、種を蒔く、休日の時期ではない。そして今と同様、静かな月と考えられ、暦においてもルディ・プレベイ(ludi plebeii):「平民の祭」(11月4~17日)を除いて、重要な祝祭はない」と指摘しています。

ファウラーはまた、1年の最後の主要な収穫祭(ローマ人には年4回あった)は、10月初期のエクス・アド・ニクサス・フイ(Equus Ad Nixas Fit)であると述べています。

加えて、ローマ人はイングランドとウェールズは支配したが、アイルランドを征服することはなかったので、アイルランドやケルトのサーウィンと異教的なローマの慣習が融合したとは考えにくいのです。(ローマにも、フェラーリアやレムーリアといった、死者を祀る祝祭があった)

参考

・ハロウィーンの文化誌 単行本 – 2014/8/21 リサ モートン (著), Lisa Morton (原著), 大久保 庸子 (翻訳)

・図説 ハロウィーン百科事典 単行本 – 2020/10/15 
リサ・モートン (著), 笹田 裕子 (翻訳), 安藤 聡 (翻訳), 杉村 使乃 (翻訳), 成瀬 俊一 (翻訳)

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