世界各地に広がるハロウィーン 海外でのハロウィーンについて

歴史
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ハロウィーンは、アイルランドのサーウィンという祝祭が起源であり、その後も主に英国とその支配地域(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)で祝われてきました。

しかし、英語圏以外の国々では、ハロウィーンは様々な受け止め方をされています。

今回は、英語圏以外の国々でのハロウィーンについて解説します。

ハロウィーンの歴史の概要について知りたい方はこちら

ヨーロッパでのハロウィーン

ヨーロッパの大部分では、万聖節や万霊節などのキリスト教の祝祭が遵守され、祖先の墓を訪れて11月1日を祝うという伝統が長く続いています。

カトリック教会が有力な地域では、11月1日は教会に行って死者への追悼ミサに行かなければならない場合もあります。(カトリック教会において万霊節は聖日の一つであり、1955年までは当日からの8日間を祈りの日として祝っていた=オクターブ)

ハロウィーンが持ち込まれるまでは、ヨーロッパの多くの地域で、ハロウィーンは万聖節と全く別のものと思われていただけでなく、全く関係ないものとさえ思われていたようです。

ハロウィーンは、実のところ、名を変えたサーウィン祭に過ぎないとする見方がヨーロッパの大衆文化の中に広く生き渡っていて、書籍、様々な記事、Webサイトなどでは、焚火やいたずら、トリック・オア・トリートに至るまで、全てをケルト人に起源があるとされています。

このような考え方により、ヨーロッパではハロウィーン(異教の祝祭)は名前の意味に関係なく、万聖節、万霊節といったキリスト教の祝祭とは完全に別のものとして受け止められているようです。

フランスでのハロウィーン

パリ・ディズニーランドでのハロウィーン(printerestより引用)

ヨーロッパの中で、11月1日、2日の風習がアメリカに到達する以前の英語圏のハロウィーンに酷似していた地域はフランスのブルターニュ地方でした。

というのも、ブルターニュは(コーンウォール、アイルランド、スコットランド、スコットランド、ウェールズ、マン島と並んで)6つのケルト人国歌の一つと見なされているのです。
ブルターニュで今も話されているブルトン語はケルト語派に属する言語であり、ウェールズ語、コーンウォール語などと機嫌が同じです。

この地域の民間伝承の中にサーウィン祭についての言及はありませんが、万聖節、万霊節をめぐっては、薄気味悪い幽霊の伝説が山のようにあります。

1900年となった頃でも、旅行作家たちがブルターニュは依然「中世的」であると記したように、ブルトン人は死者の日には死者が帰ってくると信じていました。
ブルターニュのほぼ全域で、万霊節は、真夜中に戻ってくると考えられていた死者を厳かに追悼するものでした。

ブルターニュだけでなく、フランスでは11月1日に墓を訪れることで、死者の日が祝われてきましたが、10月31日の祝祭としてのハロウィーンが広く受け入れられたことはありませんでした。

フランス人の80%以上がカトリック教徒だと言われており、フランスでは万聖節がそのカトリック的性質を失うことはなく、墓地を訪れ、墓を飾るという伝統のままに祝われます。

死者の日はフランス全土で公休日であり、墓地周辺の道路はびっしり渋滞し、有名なパリのペール・ラシェーズ墓地には何万人もの人たちが訪れるとされています。

1980年代半ば、初めてハロウィーンがフランスの文化にほんの少し入り込むと、その10年後にはマクドナルドなどの企業がフランス国内でハロウィーンをテーマに販売キャンペーンを始めました。

パリ・ディズニーランドはメインストリート・アトラクションに「幽霊街」と銘打って新たなデコレーションを施しました。
マーケットにはカボチャが登場し、パン屋や菓子店にはハロウィーン用のスイーツが並びました。

1996年には、フランス中部の町リモージュでパレードが始められ、3万人の見物客を集め、数々の仮装パーティーやコンテストが催されました。

しかし、2002年までに全てが変わり始めました。
「アメリカによる文化支配から国を守る」ことを重視しているフランスにおいて、ハロウィーンはディズニー、マクドナルドといったアメリカ企業を後ろ盾にして入ったために、失敗に終わったように見えました。

ですが、最近では、ハロウィーンが世界的な行事になるにつれて、フランスでもディズニーランドのあるパリを中心に、再びハロウィーン人気が高まっており、子供たちを中心に、仮装やハロウィーン用のスイーツなどが売られ、段々と広まっているようです。
それでも、カトリック教会やフランスの伝統を大切にしたい人たちの中には、ハロウィーンを快く思わない人もいて、地方ではハロウィーンが全く浸透していない地域もあるようです。

ベルギーでのハロウィーン

ワリビ・ベルギーのハロウィーン(Walibi Belgiumより引用)

ベルギーでは、ハロウィーンは温かく受け入れられました。

ベルギーでは、万聖節は墓地を訪れてロウソクに火を灯すことで、万霊節は特別なケーキを食べることで祝われていました。
貧しい家の子供たちは家の軒先に、聖母の絵をのせたテーブルを出して、通りがかった人たちにケーキを求めるよう教えられました。

近年、ベルギーへのハロウィーン輸出は活況を呈しており、今では、人里離れた村でもトリック・オア・トリートが行われており、村によってはハロウィーン前後一週間にわたって続けられるようです。

ベルギーにおけるハロウィーン人気は、ブリュッセル近くに位置する人気のアミューズメントパーク、ワリビ・ベルギーが一端を担っています。

2007年、ワリビ・ベルギーは「恐怖の夜」を企画し、瞬く間に記録的な数の観客を動員しました。ワリビ・ベルギーは通常のアトラクションをハロウィーンに関連するものに変え、巨大迷路や恐怖のゾーン(Scare zone)を追加しました。

ベルギーのホーンテッドアトラクション(海外のお化け屋敷)とアメリカのホーンテッドアトラクションの最大の違いは、演技スタッフと来場者との距離です。

ワリビ・ベルギーのモンスターは頻繁に来場者に触れたり、狭いところに押しやったりして立ち去らせまいとします。

スウェーデンでのハロウィーン

Credits: Sofia Sabel imagebank.sweden.se

ハロウィーンは、スウェーデンでは比較的新しい習慣であり、スウェーデンで祝われるようになったのは1990年代に入ってからで、急速に定着しています。

スウェーデンの夏休みと万聖節の間のカレンダーには、祝祭日も長期休暇もありません。
11月の初めには、スウェーデンは暗闇に包まれ、スウェーデンでは長い労働週間が延々と続きます。(北欧の国々では、冬は昼間も太陽が真上に昇ることはなく、夕方のような天候が続く)
ハロウィーンは学校の秋休みを告げるもので、迫り来る暗闇の中での歓迎すべき気分転換となります。

この日を祝うのは、主に子供や若者です。
仮装パーティやゴーストパーティに参加し、ランタンを灯して街に繰り出し、近所の人々を怖がらせます。
多くのパブやレストランでは、ハロウィーン・パーティーが開催され、店内はおどろおどろしい装飾で彩られます。

スウェーデン南東岸のエーランド島では、ハロウィーンのカボチャが経済の重要な一部を担っていて、毎年9月末頃に収穫祭が開かれ、パンプキンマン(カボチャ頭の大きな収穫フィギュア)が作られます。

スウェーデンの夏の日照時間は18時間あり、陽光を好むカボチャの作付けに適しており、エーランド島ではコンテストでしか利用されないジャイアントパンプキンを含めて約40品種が栽培されています。
カボチャはまた、他の作物と輪作(同じ土地で性質の異なる農作物を作ること)され、有機栽培を誇りとするスウェーデンの農業従事者は地元の家畜の排せつ物から作られる堆肥を肥料として使っています。

デンマークでのハロウィーン

チボリ公園でのハロウィーン(printerestより引用)

デンマークでは、有名なアミューズメントパーク、チボリ公園が10月の半ばにハロウィーンの祝典なるものを仕掛け、2006年以降、記録的な人数の観客を集め、「デンマークで一番大きなカボチャ」と1万5000個以上のカボチャを展示しています。

「チボリでハロウィーン」は子供連れの家族向けのエンターテインメントで、収穫祭や子供たちのための催しが開催されます。

デンマークでのハロウィーンは、学校の既存の秋休みに合わせるためだと思われますが、10月31日前の一週間に祝われます。

ドイツでのハロウィーン

ドイツでは、人口の約四分の一がローマカトリックの信者で、万聖節も万霊節も祝われてきたが、現在ではハロウィーンも温かく受け入れられています。

万聖節は「ゼーレンリヒター」と呼ばれる特別なロウソクを一晩中灯して祝われ、万霊節は「魂の夜」と呼ばれる8日間の始まりで、その8日間は慈善事業と贖罪行為のための期間でもありました。

万霊節には「ゼーレンブロート」あるいは「アラーハイリゲン・シュトリーツ」と呼ばれる特別なパンが配られます。

ゼーレンブロート・・・生地を三つ編みのように編んで作られた甘いパンで、ポピーシードが散らされていることもある。

ハロウィーンがアメリカの祝祭っぽくなっていったのは比較的最近で、1975年にブライアン・ヒルというアメリカ人兵士がパーティーを企画し、米軍放送網を通じてそれを告知し、5000人のお祭り好きを集めた時、本格的にアメリカナイズされたと思われます。

パーティーはダルムシュタットの南に少し離れたフランケンシュタイン城(1000年前の要塞)で開かれ、第一回のパーティーの成功を受けて、毎年開催されるようになりました。
フランケンシュタイン城でのハロウィーンは現在も催され、毎年1万5000人ほどの客を集めます。

フランケンシュタイン城の塔および廃墟 Wikipediaより引用

ハロウィーンは一方で、テレビドラマや映画、テーマパーク、小売業界のルートからもドイツに入りました。

ジョン・カーペンター監督による『ハロウィン』、ティム・バートン制作の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』などの映画は人気を博したが、何よりハロウィーン人気の押し上げに貢献したのは、ドイツに入ってきたアメリカの一話完結形式のテレビドラマで、そこではハロウィーンが当たり前のように取り上げられていました。

2009年の時点で、ハロウィーンはドイツの若い世代の文化的な核の一部となっています。

ドイツとスロヴェニアでは、10月31日にもう一つの祝典、宗教改革記念日を祝います。

宗教改革記念日・・・マルティン・ルターが1517年に「九十五箇条の論題」を発表し、宗教改革が始まったことを記念する日。

ドイツでは5州がこの日を公休日と定めているだけだが、スロヴェニアでは10月31日は国民の休日となっています。

スロヴェニアでのハロウィーン

スロヴェニアでは、万聖節も国民の休日だが、ハロウィーンはあまり受け入れられそうにない様子です。

スロヴェニア語でハロウィーンはNoč čarovnicと呼ばれ、直訳すると「魔女たちの夜」です。

スロヴェニア語の新聞や雑誌にハロウィーンが登場したのは1992年のことだが、より目立つ話題になったのは1999年のことだでした。
これらの記事は、ハロウィンを肯定的に論じているものではなく、この祝日は、あまりにも資本主義的で消費主義的であるとして、多くの人からすぐに否定されました。

スロヴェニア人にとって10月31日は、プロテスタントの司祭であり、スロベニア語で最初の本を書いたプリモージュ・トルバルを祝う日です。
スロヴェニアは文化的に抑圧されてきた長い歴史があるため、多くの人にとってこの日はスロベニアの文化を祝う意味のある日です。

また、11月1日はもうひとつの祝日で、死者の日(Dan mrtvih)としても知られる「追憶の日」(Dan spomina na mrtve)です。
この日は、お墓参りをして死者を称え、記憶する日であり、ロウソクや生花を持ってきて、冬になる前に家族や愛する人たちのお墓を飾り、きれいにするのが一般的です。

ハロウィーンについては、子供たちやクラブでのパーティーなどで行われます。
10月31日にトリック・オア・トリートは行いません。
子どもたちが仮装して家のドアを叩き、おやつをもらうのは、スロベニア語で「Pust」と呼ばれる「Shrove Tuesday」の日です。

Shrove Tuesday・・・キリスト教の四旬節が始まる前日。Shroveはshriveに由来し、四旬節の準備のために罪を告白することを指し、中世のヨーロッパでは一般的な習慣だった。

Shrove Tuesdayにスロヴェニアで行われる祭(Wikipediaより引用)

東ヨーロッパでのハロウィーン

東ヨーロッパでは、ハロウィーンはあまり浸透していません。

万聖節の慣習が深く根付いているのも理由の一つだが、意外な文化的要素が作用しています。

例えば、明るいオレンジ色のカボチャヨーロッパの他の地域では、ハロウィーンの人気を高めることに貢献したが、ウクライナではカボチャ(ウクライナ語で「ハーバス」)には既に独自の意味があって、古くから、女性からの求婚拒否を象徴するものでした。
この伝統は薄れつつあるものの、その否定的意味合いは東ヨーロッパでは維持されたままで、例えば取引を拒否する時に、「その件に関して、あなたにカボチャをお渡ししなければなりません」と言ったりします。

ポーランドでのハロウィーン

ポーランドでは、万聖節は国民の休日であり、多くの人が墓地を訪れるため、毎年11月1日は交通事故が増加します。

地元商店は専用の墓標洗剤を売り、人々は墓のわきでズニチュ(Znicze)と呼ばれる特別なロウソクに火を灯します。
ラジオ放送は亡くなった音楽家、アーティストの作品を特集し、ポーランド人作家、芸術家もこの日を使って老朽化した記念碑や墓地を修復し、後世に伝えていくための募金を集めます。

dziadyを祝うための準備(Wikipediaより引用)

また11月1日には、悪名高きナチスの集中キャンプ、アウシュビッツ第一収容所を訪れ、そこで亡くなったポーランド人に思いを馳せ、その墓だけでなく、キャンプに続く鉄道の線路にまで、多くの花やロウソクを供えます。

一部では、万聖節を支持するポーランド人聖職者はハロウィーンを容易には受け入れないと言われています。
実際、アメリカ人教師がハロウィーンについて学童に説明を試みたところ、怒った父兄が「私たちはそのような祝日を祝ったりしません」と声高に言い残して子供たちを連れ出したという話もあります。

歴史家アレン・ポールによると、「ハロウィーンが醸し出す騒々しさや節度のなさが、ポーランドの万聖節の伝統によって培われた強いナショナリズムに太刀打ち出来るはずがない、何しろこの日は、第二次世界大戦中の侵略に消えていった命を追悼する日であり、共産主義体制下で経験した長い苦しみを後世に伝える日なのだから」としています。

ハロウィンのポーランド語版である「Dziady」は、古いスラブの時代に遡る豊かな伝統を持っています。

「Dziady」の伝統の重要な要素として、カラボシュカの仮面があります。
カラボシュカは粘土や木で作られた仮面で、故人になりすまして霊をあの世に導く風習がありました。

故人の霊のための食べ物とそれらを象徴するカラボシュカの仮面(Wikipediaより引用)

ポーランドで最も偉大な吟遊詩人であるアダム・ミツキェヴィッチ(Adam Mickiewicz)が書いたロマン派文学の代表作の一つである「Forefathers’ Eve」(先祖の前夜)という作品があります。

この本の第二部では、夜の礼拝堂で行われる、地元の村人が参加するジアディの儀式が描かれています。
儀式の指導者が教会に出没する厄介な霊の一人に語りかける場面は、ある時間になると死者の霊が生者のもとにやってくるという信念と、その霊に食べ物を捧げる習慣という2つの主要な要素を示しています。

もともとは異教的な民俗儀式であったが、スラブ人やバルト人がキリスト教化された後、聖書の信仰と混ざり合いました。
万聖節は純粋にキリスト教に準ずるものとして提案されたにもかかわらず、20世紀初頭になってもポーランドの一部の地域では「Dziady」の伝統の要素が培われていました。

ルーマニアでのハロウィーン

トランシルヴァニアのブラン城(printerestより引用)

東ヨーロッパでは、ハロウィーンがあまり広く受け入れられていないが、ルーマニアは、ハロウィーンの一部が自分たちのものだと主張しています。

ブラム・ストーカーのホラー小説『ドラキュラ』はコウモリの人気をハロウィーンに贈ったと言えるます。
また、『ドラキュラ』によってトランシルヴァニア(ルーマニア中部の地域)は全ての超自然的なものの象徴する地として不滅なものとなり、地元ルーマニアの人たちもヴァンパイア伯爵の物語を受け入れ、観光地化しました。

現在、トランシルヴァニアでのハロウィーン・ツアーは、小説の冒頭の舞台ボルゴ峠、ブラン城(別名:ドラキュラ城)、ヴラド・ツェペシュの生誕の地シギショアラを巡るのが定番のコースです。

ヴラド・ツェペシュ・・・15世紀のワラキア公国の次男として生まれ、「串刺し王」としても知られるヴラド・ツェペシュ(「竜公ドラクルの息子」という意味)は、ルーマニアに古くから伝えられていた吸血鬼伝説と共に、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』誕生に深く関わっていた。

スペインでのハロウィーン

スペイン北部では多くの地域でアメリカ風トリック・オア・トリートの慣習が受け入れられていて、ハロウィーンの夜、仮装した子供たちが通りをパレードする姿が見かけられます。
アメリカのトリック・オア・トリートとスペインのトリック・オア・トリートには違いがあり、スペインでは、子供たちは商店やレストランは訪ねるが、個人の過程にねだりに行ったりはしません。

カタルーニャ(スペイン北東部)では、伝統的に万聖節を祝っており、今でも11月1日には数千人もの人々が、墓地を訪れ、墓に花を供えます。
栗を焼いて食べる習慣から、「La Castanyada(Chestmuts feastival)」(栗祭り)と呼ばれるようになりました。
また、小麦粉、卵、アーモンドを主な材料として作られたパナジェッツ(panellets)を、マスカテル(muscatel)と呼ばれるマスカットから作られるワインと一緒に食べます。

パナジェッツ(Wikipediaより引用)

カタルーニャで人気の連続ホームコメディ「プラッツ・ブルッツ」(Plats Bruts)(1999年に放送開始)の中に「I’ve got chestnuts」(僕には栗が・・・)というタイトルの話がありました。
そこでは、カタルーニャの万聖節の伝統的習慣と西洋風(アメリカ風?)ハロウィーンの対立が描かれていました。

登場人物の一人であるロペス(古いカタルーニャ人)は祝祭のためにパナジェッツを用意し、現代風祝祭に興味のあるルームメイトのダヴィドはハロウィーンのためにヴァンパイアに仮装し、カボチャでランタンを作っています。
ロペスは、アメリカ風ハロウィーンは(文化支配という意味で)「帝国主義的」だと不平をもらすが、彼自身の伝統的な祝い方へのこだわりも笑いの要素として表現されています。

イタリアでのハロウィーン

イタリアにはローマ教皇庁があり、万聖節発祥の地であるため、アイルランドと同じぐらい、ハロウィーンの故郷と見なされていいと考えられるが、万聖節と万霊節が伝統的に祝われてきたため、ハロウィーンは最近迎え入れられ始めたばかりです。

ローマの万神殿(パンテオン)は609年に万聖節が創始されるための役割を果たしたが、現在でも万聖節のための特別ミサがオーケストラを交えて行われます。

イタリアにはまた、11月1日、2日の両日に墓地を訪ねる習慣があります。
1888年、サタデーレビュー紙は万聖節にナポリで行われていることについて掲載し、墓地を訪れることが「お楽しみパーティーに成り下がっており」、訪れる人々は往路こそ節度を守って素面(シラフ)でも、復路となると道端に立ち並ぶパブに何度も立ち寄って行くと苦言を呈しました。

19世紀のイタリアの協会の一部は、万聖節に聖人の生涯の場面を劇のように再現することで有名で、本物かと思われるような蝋人形を様々な人物として登場させました。

1868年には、サンジョヴァンニの墓場で、ペストが大流行した時代を参考に、疫病に感染した人々の集団や、瀕死の状態で苦しむ子供たち、顔中に紫色の斑点があったり、口から泡を吹く人々を再現しました。

しかし、それ以上に衝撃的だったのは、1823年、サンピリスト病院の墓地に再現された一場面でした。
そこには、天国に向けて角笛を吹く天使の蝋人形の周りに、当時病院で亡くなったばかりの人々の(本物の)死体が環状に安置されていたのです。

イタリアの季節的な食べ物の中で、最も興味深いのは、砂糖とアーモンドで作られたスイーツで、ソラマメの形をしたファーヴェ・デイ・モルティ(Fave dei morti)です。

ファーヴェ・デイ・モルティ cookistより引用

ソラマメは古代ローマのレムリア祭の最後の夜、霊を追い払うために家の周りに撒かれた豆であり、レムリア祭の最後の夜とは、5月13日、すなわち本来の万聖節として取り決められた日のことです。(後に11月1日に変更された)

ファーヴェ・デイ・モルティは現在もイタリアで11月1日に作られ食べられていますが、墓地を訪れる習慣は段々となくなってきていると言われています。

それでもハロウィーンはイタリアに居場所を見つけつつあり、イタリアではハロウィーンが「魔女たちの夜」と称され、カボチャやトリック・オア・トリートと共に徐々に人気が高まっています。

ヴェニスのような都市部では凝った衣装にも長い歴史があり、報じられるところによれば、ハロウィーンは祝典規模から言っても謝肉祭と肩を並べつつあるそうです。

また、イタリアの一部の都市はハロウィーンの日に旅行者が目指す観光地ともなっていて、8000体のミイラが安置されているカプチン会の地下埋葬地で有名なパレルモなどがあります。

ローマのサンタ・マリア・デッラ・コンチェツィオーネ教会の納骨堂を飾る4,000人のカプチン会修道士の遺体(Wikipeaiaより引用)

ロシア連邦でのハロウィーン

ロストフオンドン(ロシアの都市)のお祝い車(Wikipediaより引用)

ロシアでは、ハロウィーンが流行る一方で、伝統的な祝祭は廃れる一方ではないかと懸念が表明されたが、1990年代以来、ハロウィーン人気は急速に高まっています。

ハロウィーンを最初に持ち込んだのはアメリカ人英語教師たちで、子供たちも喜んでいたが、2003年にはモスクワの教育省がハロウィーンにまつわる活動を学校内で行うことを非難する声明を出し、学校ではこの非難にに応じた対応を取るか、引き続きハロウィーンを祝うかで意見が割れました。

ロシア正教会もハロウィーンが外国の祝祭であることから反対していたが、2010年になる頃には、ロシアのハロウィーンは「分裂増殖のような成長」だと言われました。

今でも、特に若者の間でハロウィーンの人気は維持され、10月31日にナイトクラブで催されるイベントはいつも完売になる程です。
一部には、ロシアを意識したコスチュームを身に着けることを客に促したり、伝統的なロシア料理や飲み物を出したりしてハロウィーンの「ロシア化」を試みるクラブもあります。

それでも、ヴァンパイア、魔女、ゾンビが至るところに出現するのが現状のようです。

ロシアでハロウィーンが流行している理由の一つは、個人レベルでの芸術表現の一手段と見なされている点にあるかもしれません。
例えば、モスクワ・ボディアート学校では、ハロウィーンの祝祭に参加し、その潜在性を今後の自分の利益になるものとして捉えるよう、学生たちを指導します。

中東でのハロウィーン

原理的に言えば、ユダヤ教、イスラム教などの中東地域に多い宗教は、全般的に西洋の祝典を認めないし、政府も同様です。

しかし、中東にハロウィーンが全く存在しないわけではなく、また、ごく少数のアメリカ人コミュニティによってのみ祝われているわけでもありません。

リビア、シリア、ヨルダン、パレスチナ、トルコの一部に住む中東のキリスト教徒が、12月の初めに「イード・イル・ブルバラ」(Eid Il-Burbara)を祝います。
これは、ローマ人の迫害から逃れるために変装した聖バルバラを祝うものです。
ジャック・オー・ランタンなどのハロウィーンの装飾も見られ、西洋の祭りと共通するテーマ性が見られます。

ヨルダンでのハロウィーン

ヨルダン国旗

ヨルダンの内務省は、異教に根ざしながらも、何世紀にもわたってキリスト教徒による万聖節と結びついてきたこの祝日に関連するすべての祝賀行事を禁止しました。
ヨルダン政府はアメリカ大使館に、公の場でカスタムを着て外出するアメリカ人を見つけたら逮捕すると通達しました。
この非合法化は、2012年に地元のムスリム同胞団がハロウィーンパーティを開催していたカフェに放火した事件を受けてのものでした。

サウジアラビアでのハロウィーン

サウジアラビアのリヤドで開催されるハロウィーンのイベント(SAUDI ARABIA HORROR FESTIVALより引用)

厳格なイスラム教の戒律を守り、女性の権利も未だ抑圧されているサウジアラビアですが、実際の生活とかけ離れているとして、近年、段々と緩くなってきています。

石油依存経済からの脱却に関して、具体的な目標を設定した「ビジョン2030」が2016年に発表されて以来、サウジアラビアに住む多様な人々が祝う宗教的な祭りやその他の祭りが解放されました。

サウジアラビアでは、ハロウィーンが本格的に導入され、外国人居住者やサウジアラビア人を喜ばせています。
ショッピングモールや家庭では、カボチャやイルミネーション、お化けのような装飾が施されています。

一方で、王族やその関係者など、一部の富裕層は、以前からイスラム教の戒律を厳格には守っていない可能性が高いです。

2010年にアメリカの外交官が語った情報によると、王室のメンバーが開いた地下のハロウィーン・パーティーでは、国内のイスラム教のタブーをすべて破っていました。
サウジの法律や習慣では厳しく禁じられているアルコールや大量の売春婦が存在し、薬物が使用された他、女性もコスチュームを着て、カップルでダンスを楽しんだり、他の国々のナイトクラブによく似たパーティーが開催されていたという情報もあります。

ドバイでのハロウィーン

ドバイでは、ホテルやクラブ、レストランで、ハロウィーンをテーマにしたディナーやパーティー、ブランチが数えきれないほど開催されています。
大規模なスーパーマーケットチェーンから、街角の小さなBakkals(コーナーショップ)まで、カボチャや仮装グッズ、ハロウィンをテーマにしたクッキーやお菓子などが売られています。
さらには、ハロウィーンをテーマにしたヨガナイトやペットの里親募集のパーティーも行われています。

ドバイの属するアラブ首長国連邦はイスラム教を国教としているが、ドバイでは戒律はあまり厳格でなく、飲酒、服装、娯楽などの制約も少なく、女性の権利もある程度認められてることが、ハロウィーンの流行を後押ししたと考えられます。

東アジアでのハロウィーン

東アジアでは、主に日本と香港でハロウィーンが受け入れられています。

香港でのハロウィーン

香港ディズニーランドのハロウィーン(Hong Kong Disney Landより引用)

かつて英国の植民地であった香港では、20世紀末頃から、小さなパーティーを開いて祝われてきました。

しかし、2007年、香港ディズニーランドが「ホーンテッド・ハロウィーン」を開始すると、一気に広まりました。
世界に広がるディズニーランドの中で、香港ディズニーランドだけが生身の役者と、特殊効果が採用された実際のハロウィーン用メイズ及びテーマエリアを供えています。(2014年時点)

香港ディズニーランドには、メインストリート・エリアにホーンテッド・ホテル、アドヴェンチャーランドにデーモン・ジャングルと、元々二つの伝統的なメイズがあったが、近年「エイリアン・インベーション」など、更なるホーンテッド・アトラクションが追加されています。

香港ディズニーランドが当初、「ホーンテッド・ハロウィーン」を大々的に売り出したことで、この祝祭は香港中に広まりました。

香港では、大規模なパーティー、仮装イベントを行うことでハロウィーンを祝い、夜間にはランカイフォン地域(香港一の繁華街)で交通が遮断されます。

多くのレストランでは、この夜のためにハロウィーンにこだわった特別メニューが提供され、カボチャ風味の料理が登場することもあります。

中国本土でのハロウィーン

ランタン祭(printerestより引用)

中国本土では、清明節と盂蘭盆が広く遵守されていて、ハロウィーンは最近受け入れられ始めたところです。

中国でのハロウィーンの大規模なパーティーは依然として都市部に限られているが、国中の若者がハロウィーンをオンラインで祝い、e-greating(メールで絵葉書やポストカードのようなものを送ること)専門のwebサイトが2006年以降、ハロウィーン・ビジネスの中で急成長を遂げています。

中国ではまた、多くの地域で、ハロウィーン・デコレーションが仮装やパーティー、トリック・オア・トリートよりも人気を集めています。

南半球でのハロウィーン

ヨーロッパや東アジア、北米などではハロウィーンは伝統的に祝われていたり、近年急速に広まったりしていますが、南半球ではあまり普及していません。

ニュージーランドでのハロウィーン

ニュージーランド国旗

ニュージーランドでは、火薬陰謀事件を発端とするガイ・フォークス・ナイト(焚火の夜)が」近代まで積極的に祝われ、詩歌が歌われ、食べ物が乞われ、爆竹花火が鳴らされたが、祝典としてのハロウィーンの歴史は実質上皆無でした。

しかし、ニュージーランドでもハロウィーンの人気が徐々に高まっています。

アメリカのハロウィーンのような「トリック・オア・トリート」も一部地域では行われており、大人も仮装パーティーをして楽しんでいます。

オーストラリアのハロウィーン

オーストラリアでは、断続的に細々とハロウィーンが生きています。

2000年代半ばには、少数ながら、トリック・オア・トリートを行う郊外居住者もいたと言われるが、2000年末にはこの風習は再び姿を消してしまったようです。

2010年10月には17名で構成された「ハロウィーン協会」なる団体がオーストラリア政府に対して、ハロウィーンを国民の祝日として承認するようロビー活動を試みたが、失敗に終わりました。

McCrindle Research社が2011年に行った調査によると、オーストラリア人の4分の1(26%)がハロウィーンを祝う予定で、8%は確実に祝うと答えました。
また、小学生の子供を持つ人の半数以上(51%)が、昨年のハロウィーンに不気味な行事を予定しており、オーストラリア人の10人に7人(71%)が、以前よりもハロウィーンを祝うようになったと答えています。

また、2009年からシドニー・ゾンビ・ウォークというチャリティーイベントが毎年開催されています。
数千人ものゾンビに扮した人々が、腐った手足を引きづりながらシドニーの町を練り歩くこのイベントは、がんの治療中の子供たちを支援、応援する団体が共催しており、イベントの参加費や寄付金などが、子供たちを勇気づけるための様々な取り組みに使われます。

南アフリカでのハロウィーン

南アフリカ国旗

アフリカではキリスト教思想の実践が高まり続けていて、万聖節を国民の祝日としている国もあるが、ハロウィーンを祝っているのは南アフリカだけです。

南アフリカの魔術崇拝主義者(ウィッカ)によると、南半球におけるサーウィン祭(ハロウィーンの起源)は、自然のサイクルに正しく則るのであれば、四月末に行われなければならないとしています。

南アフリカでは、ハロウィーンの祝典が芽生えつつあり、トリック・オア・トリートが行われ、商店はハロウィーングッズを揃えているが、一方で、一部のキリスト教徒からの抵抗にも遭っています。
2005年には、クリスチャン行動ネットワークの代表が「悪魔的」祝典に抗議しようと、自らの子供たちを軍事コンバットのシミュレーションゲームに連れて行き、トリック・オア・トリーターを標的として撃たせたという話もあります。

それでも、ハロウィーンは南アフリカで、若者を中心に受け入れられつつあり、2011年には世界的に有名なミュージシャンや、メーキャップ・アーティストを呼び物としたパーティーが行われたり、ホラー映画が上映され、ハロウィーン行事が繰り広げられた十日間の「ホラーフェスティバル」が催されたりもしました。

参考

・ハロウィーンの文化誌 単行本 – 2014/8/21 リサ モートン (著), Lisa Morton (原著), 大久保 庸子 (翻訳)

・図説 ハロウィーン百科事典 単行本 – 2020/10/15 
リサ・モートン (著), 笹田 裕子 (翻訳), 安藤 聡 (翻訳), 杉村 使乃 (翻訳), 成瀬 俊一 (翻訳)

Sweden Sverige Halloween the Swedish way

Treat or Trick? Halloween in a Globalising World Hugh O’Donnell, Malcolm Foley Cambridge Scholars Publishing, 2008/12/18

ALARABIYA news Trick or treat? Halloween in the Middle East is a candy-laden compromise

The National Saudi Arabia gears up for Halloween with queues for pumpkins and costumes

The Sydney Morning Herald Leave your taboos at the gate

finder Halloween in New Zealand 2021

Migrate2 Oz Halloween in Australia. What do Aussies do? How does it differ?

Britannica Shrove Tuesday

Wandering Helene Do Slovenians Celebrate Halloween?

Culture.pl Series: Romanticism The Polish Halloween: All You Need to Know About Dziady

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