万聖節・万霊節とは何か?サーウィンからハロウィーンへの移行の過程について

歴史
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今回は、キリスト教の祝日である万聖節と万霊節について紹介しつつ、ケルト民族の祭であったサーウィンが世界的な祭であるハロウィーンへと移り変わった過程を解説します。

ハロウィーンの歴史の概要を知りたい方はこちら

万聖節とは

まず、キリスト教の祝日である万聖節から紹介します。

万聖節は英語では「All Saints’ Day」と呼ばれることが多いですが、「All Hallows’ Day」や「All-hallowmas」、「Haliday」などと呼ばれることもあります。
「万聖節」は「全ての聖人の祝日」という意味であり、キリスト教の聖人を有名な人もそうでない人も全員祝う日です。(現在では「諸聖人の日」と呼ばれることが多い)

現在では、万聖節は11月1日であり、その前夜はハロウィーンとして祝われています。(オール・ハロウズ・イヴ:All Hallows Eveに由来)

万聖節は宗教上の聖日でもあるため、カトリック教徒は皆ミサに出席する義務があり、「神に捧げられる礼拝、主日にふさわしい喜び、心身に当然与えられるべき寛ぎなどの妨げとなるような仕事やビジネス」を差し控えなければなりません。

万聖節の歴史

万聖節のような祝祭が最初に文献に登場したのは聖エフラエム・シラス(紀元後306~373年)の著作です。
一方、聖クリュソストモス(紀元後347~407年)は、ペンテコステ(聖霊降臨祭)後の最初の日曜日という特定の日を祝祭の日と定めました。

この日は、609年5月13日に教皇ボニファティウス4世がローマの万神殿(パンテオン)を聖堂に変えるまでは、完全にキリスト教用語として確立していませんでした。

この日は5月13日に祝われていましたが、教皇グレゴリウス3世(在職期間731~741年)が聖ペトロのバシリカ聖堂の礼拝堂を11月1日の「万聖節」に捧げました。

グレゴリウス4世(827~844年の教皇)は万国共通の祝祭とすることを命じ、シクストゥス4世(1471~84年の教皇)はオクターブ(第8日目)と典礼規定に準拠した聖日前夜の祈りを加えました。

オクターブ(Octave)・・・祝祭日から数えて8日目のことで、この言葉はラテン語のoctava(8番目の)から派生したもの。
コンスタンティヌス1世の時代に、献堂式が8日間にわたって行われたのが、オクターブの習慣の始まりであり、その後、年に一度の典礼行事にはオクターブが設けられるようになった。
教皇ピウス12世は、1955年3月23日付の法令でカレンダーを簡素化し、クリスマス、イースター(復活祭)、ペンテコステ(聖霊降臨祭)のオクターブのみを残し、残りは全て廃止した。(万聖節のオクターブも廃止された)

この祝祭は、英国国教会と多くのルター派の境界の暦の中で維持されました。
1980年に英国国教会によって作成された祈祷書の暦には、「第8日目」(11月8日)は「イングランドの聖人と殉教者の日」と書かれています。

万聖節をなぜ11月1日に設定したかについては様々な議論がありました。
カトリック教会の多くの年代記編者が、祝祭のためにローマに集まる多数の巡礼をよりもてなしやすいように、11月1日(収穫の直後)に変更されたと信じているが、ほとんどの歴史学者は、10月31日の日没と共に開始された最大の祝祭サーウィンから、ケルト人を方向転換させようとするアイルランドの宣教師たちの手助けをするために、日付が変更されたと考えているようです。

601年にグレゴリウス1世がある宣教師に充てて書いた有名な手紙では、最初は混合主義(異なる慣習や主義を融合すること)を唱えたり、異教の礼拝を攻撃的に鎮圧せずに、逆に採り入れようとしています。

この主張を裏付ける根拠の一つは、万聖節の元々の日付(5月13日)の起源です。
5月13日は、かつて3日間続く死者のためのローマの祝祭レムーリアの最後の夜でした。

万聖節は何世紀もの間世界中で祝われてきましたが、ほぼ全ての国で独特な慣習が創り出されました。
これらの慣習の中には、明らかに現代のハロウィーンの儀式に影響を与えたものもあります。

中世の万聖節では、教区民が天使や聖人に(数人は悪魔にさえ)扮して教会の周りを行進して祝いました。
これは、おそらく現代の「トリック・オア・トリート」に影響を与えたと考えられています。

万霊節とは

続いて、万霊節について紹介します。

万霊節は英語では「All Souls’ Day」と呼ばれ、(日本語で)現在では「諸死者の日」と呼ばれることもあります。

万霊節は11月2日に行われるキリスト教の祝祭であり、ローマ・カトリック教会の記念祭です。

この日は、死者の魂のために特別な祈りが捧げられますが、これは、生者の祈りはまだ十分に浄化されていない死者の魂を助けることが出来るという信仰に基づいています。

万霊節は(万聖節とは異なり)義務としての聖日ではありません。
「死者のための礼拝」で祝われ、ミサは死者のためのミサ(レクイエム)であり、3つの特別なミサで祝われることが多いです。
他界した魂を祝福するミサ、ローマ教皇が一年ごとに表明する目標に敬意を表するミサ、教区牧師が選ぶ目標を認識するためのミサ、の3つです。

万霊節の歴史

万霊節は、西暦998年にクリュニーのオディアン・アボット(聖オディロ)により、記念日(全ての死者の日)として確立されました。

ある通俗的な伝説によると、聖オディロは、聖地から戻った巡礼者からある島の話を聞いた後、祝典を始めたとされています。
その島は地獄に通じており、責め苦に苦悶する霊のうめき声を旅人に聞かせるといいます。

教皇シルウェステル2世(在位999~1003年)は、万霊節を祝うことを推奨しました。
その後、13世紀末までには、万霊節は(ヨーロッパの)ほぼ至るところで祝われるようになりました。
14世紀までには、ローマ・カトリック教会が、西方教会の公式名簿に載っている全ての聖人の記念の日を11月2日に定めました(1970年まで、11月2日が日曜日の年は、万霊節は11月3日に祝われていた)

万霊節は、かつて非常に重要な祝典だと考えられていたため、日曜日と重なると、その前日の土曜日にも祝われたので、万聖節(11月1日)と万霊節(11月2日)は時折同時に祝われました。

万霊節は、万聖節と同様に、現代のハロウィーンに多大な影響を与えたと考えられています。

宗教改革以前は、この日死者への祈りを捧げてくれた返礼として、貧しい人々に食べ物と施しを献上するのが習わしでした。(これも現代のトリック・オア・トリートに影響を与えたとされる。)
伝統的な食べ物は、たいてい「ソウルケーキ」や、ホットクロスパン(佐藤衣の十字付き菓子パン)として描写されることもある小さなケーキや、種無し干しブドウのトッピングがされた菓子パンや、小さな丸い菓子パンなどです。

サーウィンからハロウィーンへ

8世紀半ばのある時、教皇グレゴリウス三世が殉教者の祝祭を11月1日、サーウィン祭の日に移動させ、以後、この日を「全ての聖人」の祝典とすると指示しました。(万聖節)

殉教者の祝祭が11月1日に移動されたのは、ケルト人が大切にしていたサーウィン祭を、暦を変えることで吸収してしまおうという意図が働いたためではないかという説があります。

これに関して、9世紀の有名なアイルランドの宗教暦『オイングスの殉教暦』には、興味深い手がかりが残されています。
後の英語版では11月1日は「嵐の万聖節」と記されていますが、アイルランド語版の原点の方には「サーウィン」と書かれているのです。

サーウィン祭の移し替えのために11月1日が選ばれたとする議論はカトリック教会の動向からも考えられます。

紀元後1000年頃、カトリック教会は万霊節を追加し、その日を11月1日としました。
この新たな祝祭は、霊のために祈るという薄気味悪さがあり、サーウィン祭を異教の祝祭からキリスト教の休日へと移し替えるためのものとも考えられます。

14世紀になる頃には、西方教会の至るところで万霊節が執り行われるようになり、公式書籍にも暦にも加えられました。

万霊節がサーウィンと深い関係があると考えると、(サーウィンの影響を強く受ける)ハロウィーンについての最初の記録が15世紀頃に現れていることも、偶然ではないかもしれません。

『Festyvall of 1511』には「昔はオール・ハロウィン・デーに良き人々が集まり、パンを焼き、キリスト教の霊に分け与えたとされる」と記され、ハロウィーンには特別な食べ物を作る習慣が既に確立されていたことがうかがえます。
また、『Festyvall of 1493』には「良き友人たちよ、このような日、汝らにはオール・ハロウィン・デーが与えられよう」と記されています。

16世紀になると、教区記録には「オール・ハロウ・ナイトに鐘を打ち鳴らす人々の一部始終」についての報告が数多く残され、ハロウィーンには騒々しく鐘が打ち鳴らされたことを物語っています。

1550年ごろには、サーウィン祭は万聖節、万霊節といった二つの祝祭から成る祝典の中に完全に取り込まれていたましが、どちらの祝祭にも異教的特徴が多分に維持されていたので、依然として陽気な祭りであり、かつ、死を見つめる陰鬱な祈りでもありました。

このように、サーウィンは万聖節、万霊節へと変化し、そして、万聖節、万霊節から現在のハロウィーンへとまた変化していったのです。(万聖節、万霊節は現在でも多くの地域で祝われています。)

参考

・ハロウィーンの文化誌 単行本 – 2014/8/21 リサ モートン (著), Lisa Morton (原著), 大久保 庸子 (翻訳)

・図説 ハロウィーン百科事典 単行本 – 2020/10/15 
リサ・モートン (著), 笹田 裕子 (翻訳), 安藤 聡 (翻訳), 杉村 使乃 (翻訳), 成瀬 俊一 (翻訳)

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