今回は、ハロウィーンの最も古い起源とも考えられている古代エジプトの死者の宴について解説します。
死者の宴とは?
死者の宴・・・エジプトの死者の宴は、死者を記念する最も古い祭典の一つであり、ハロウィーンの最も古い起源とも考えられています。
レイ・ブラッドベリは架空のハロウィーン物語『ハロウィーンがやってきた』の冒頭でエジプト人の死者の宴を「いにしえのトリック・オア・トリート」と呼んでいます。
死者の祭典はハテュル(11月中旬)の第17日に行われ、この日はセト(テュフォン)が兄オシリスと女神イシスを妬んで兄を殺し、その遺体を14に切ってばら撒きまいた日です。(別の話では、セトまたはタイフォンが兄を石棺に閉じ込めて海に沈めた)
この日になると善の力が弱まり、(例えばナイル川の年に一度の氾濫が起こる)エジプトでは誰も新しい事業を始めることは出来ません。
この日に敢えてナイル川を下ったりするとワニに襲われ、この日に旅に出ると帰ってこられないとされています。
オシリスは庶民に非常に人気があったと言われ、そのためオシリスの祭典は哀調を帯びています。(人々はオシリスの偶像を埋めて悲しみ、僧侶は自分の胸を強打して悲しみを表す。)
この祭典の日には祝祭の火を灯して祝います。
石油ランプを灯して家の前に置き、一晩中点けておきます。
オシリスの聖地(アビュドス)では、オシリスの生と死、そして復活を描いた八幕劇が上演されます。(同様なページェントが他の主要都市でも開催されます。)
ページェント・・・20世紀初期に人気のあった学校や教会の余興の一形式。たくさんのコスチューム姿の子供が登場し、歴史上の人物を演じるものも見られた。「昔のハロウィーン」が人気のテーマで、子供たちはドルイド僧(ケルトの聖職者)、古代スコットランド人、ポモナ(古代ローマの神話に登場する女神)を讃えるローマ人、などに紛争した。
プルタルコスによれば、この祭典は4日間続き、一般の死者の祭典も同様に4日間続きました。(オシリスは王であると同時に死者の審判官でもある)
死んだ祖先の霊魂は光に導かれて帰ってきて、宴を伴う礼拝が行われた。
この祝典は楽しげな調子を帯びて終わります。
それは、イシスがオシリスとの間にできた息子ホルスを生むという形で、殺されたオシリスの復活を果たしたという物語を、無言劇の役者と僧侶が芝居で再現するからです。
オシリスの遺体は、遺体から芽生えた麦によって表現することもあります。
それは死者の宴が収穫を祝う祭と翌年の豊穣を祈る儀式を兼ねているからです。
世界に広がった死者の宴
古代エジプトの死者の宴が、世界各地にどれほどの影響を与えたのかは定かではありませんが、今日まで存在している様々な死者に関する祝典や慣習などの中で、記録に残っている最古のものが古代エジプトの死者の宴なのです。
ハロウィーンの直接の起源とされるケルト人のサーウィンも、収穫祭であると同時に、死者の霊がさまよい、出てくる夜だと信じられていました。
他にも、キリスト教の祝日である万聖節や万霊説、日本の盆祭りや中国の盂蘭盆、中南米で行われる死者の日の祝祭など、様々な死者や霊に関係する祭の起源となったのがエジプトの死者の宴なのかもしれません。
参考
・図説 ハロウィーン百科事典 単行本 – 2020/10/15
リサ・モートン (著), 笹田 裕子 (翻訳), 安藤 聡 (翻訳), 杉村 使乃 (翻訳), 成瀬 俊一 (翻訳)
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