世界の国歌について紹介します。
今回は、ミャンマー連邦共和国の国歌『我ら、ミャンマーを愛す』を紹介します。
歌詞
တရားမျှတ လွတ်လပ်ခြင်းနဲ့မသွေ၊
တို့ပြည်၊ တို့မြေ၊
များလူခပ်သိမ်း၊ ငြိမ်းချမ်းစေဖို့၊
ခွင့်တူညီမျှ၊ ဝါဒဖြူစင်တဲ့ပြည်၊
တို့ပြည်၊ တို့မြေ၊
ပြည်ထောင်စုအမွေ၊ အမြဲတည်တံ့စေ၊
အဓိဋ္ဌာန်ပြုပေ၊ ထိန်းသိမ်းစို့လေ
(ကမ္ဘာမကျေ၊ မြန်မာပြည်၊
တို့ဘိုးဘွား အမွေစစ်မို့ ချစ်မြတ်နိုးပေ။)
ပြည်ထောင်စုကို အသက်ပေးလို့ တို့ကာကွယ်မလေ၊
ဒါတို့ပြည် ဒါတို့မြေ တို့ပိုင်နက်မြေ။
တို့ပြည် တို့မြေ အကျိုးကို ညီညာစွာတို့တစ်တွေ
ထမ်းဆောင်ပါစို့လေ တို့တာဝန်ပေ အဖိုးတန်မြေ။
歌詞の意味
※英訳を参考にして日本語訳したので、元の歌詞と多少意味が異なる可能性があります。
正義と独立を貫く国。
我が国、我が祖国。
すべての人々に平和をもたらすために。
平等な権利と正しい政策を持った国家。
我が国、我が祖国。
我々は、永遠に誓う。
連邦とその遺産を守ることを。
世界が存在する限り、私たちはミャンマーを愛しています。
祖先から受け継いだ遺産であるミャンマーを愛します。
我々は、祖国を守るために命を懸けて戦う。
これは我々の国であり、祖国であり、私たち自身の土地です。
我々は、我々の国家、我々の祖国の利益のために団結して奉仕しよう。
それが、この貴重な国家に対する我々の義務である。
成り立ち
植民地時代以前のビルマにはちゃんとした国歌はなく、国王を讃える歌があった。1886年にビルマがイギリス領に併合された後、「God Save the King」がイギリス領ビルマの国歌となりました。
1930年、マンダレーの音楽家であるナンダシャイ・サヤ・ティンはラングーンに行き、新しい国歌を一緒に作ろうとタキン党に連絡を取りました。
国歌には、ビルマの歴史の背景、ビルマの現状、後悔、教訓、そして励ましの言葉が含まれていること、新しい時代を築こうとするビルマの習慣を促すこと、そして国歌を聴くビルマ人の国の誇りを高めることという4つの基準が設定されました。
これらの条件を満たすために、多くのタキン党員が協力し、サヤ・ティンが原題の「Dobama Song」(ုĂĂမာသးă)を作詞しました。
この歌は、日本がミャンマーを占領していた当時(第二次世界大戦中)には、独立運動のシンボルとして歌われていました。
その後、歌詞は何度か変更され、独立後の1948年に国歌として制定されました。
1989年には、国名の変更を定めた新憲法に則り、歌詞に登場する国名が「ビルマ」から「ミャンマー」へと変えられ、現在の国歌となりました。
1190年に作られた碑には、すでに「ムランマー」、つまりミャンマーといった国名が見られます。
基本的に「ミャンマー」は文語で、「ビルマ」は口語です。
ミャンマーのような連邦国家では、人種や思想、宗教が異なる人々が集まり、一つの国を作っており、ミャンマーにも、135もの少数民族が存在しています。
故に、国民の心をまとめる国歌は大切なものとして考えられています。
ミャンマーでは国歌を歌い終わる際に、軽くお辞儀をするといった習慣があります。
ミャンマーの国歌は2つの部分からなり、前半はビルマ風の伝統的な部分、後半は西洋風のオーケストラに移行します。
参考
・世界の国歌・国旗 単行本 – 2020/3/27 弓狩 匡純 (著)
・Online Burma/Myanmar Library Classified and annotated links to more than 60,000
full text documents on Burma/Myanmar
・မြန်မာ့ စွယ်စုံကျမ်း [Burmese Encyclopedia] (in Burmese). Vol. 6. Rangoon: Burma Translation Society. pp. 98–99.
・တို့ဗမာ အစည်းအရုံးသမိုင်း ပြုစုရေးအဖွဲ့ (1976). တို့ဗမာအစည်းအရုံးသမိုင်း [Dobama Asiayone History]. စာပေဗိမာန်. pp. 134–137.
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