世界の国歌について紹介します。
今回は、スリランカ民主社会主義共和国の国歌『母なるスリランカ』を紹介します。
歌詞
シンハラ語版
Sri Lanka Matha, apa Sri Lanka,
Namo Namo Namo Namo Matha.
Sundara siri barini,
Surendi athi Sobamana Lanka
Dhanya dhanaya neka mal pala thuru piri, Jaya bhoomiya ramya.
Apa hata sapa siri setha sadana, jeewanaye Matha!
Piliganu mena apa bhakthi pooja,
Namo Namo Matha.
Apa Sri Lanka,
Namo Namo Namo Namo Matha
Obawe apa widya, Obamaya apa sathya
Obawe apa shakti, Apa hada thula bhakthi
Oba apa aloke, Aapage anuprane
oba apa jeewana we, Apa muktiya obawe
Nawa jeewana demine
Nnithina apa Pubudu karan matha
Gnana weerya wadawamina ragena yanu
mena jaya bhoomi kara
Eka mawekuge daru kala bawina
yamu yamu wee nopama
Prema wada sama bheda durara da
Namo Namo Matha
Apa Sri Lanka,
Namo Namo Namo Namo Matha.
タミル語版
ஸ்ரீ லங்கா தாயே – நம் ஸ்ரீ லங்கா
நமோ நமோ நமோ நமோ தாயே
நல்லெழில் பொலி சீரணி
நலங்கள் யாவும் நிறை வான்மணி லங்கா
ஞாலம் புகழ் வள வயல் நதி மலை மலர்
நறுஞ்சோலை கொள் லங்கா
நமதுறு புகலிடம் என ஒளிர்வாய்
நமதுதி ஏல் தாயே
நமதலை நினதடி மேல் வைத்தோமே
நமதுயிரே தாயே – நம் ஸ்ரீ லங்கா
நமோ நமோ நமோ நமோ தாயே
நமதாரருள் ஆனாய்
நவை தவிர் உணர்வானாய்
நமதோர் வலியானாய்
நவில் சுதந்திரம் ஆனாய்
நமதிளமையை நாட்டே
நகு மடி தனையோட்டே
அமைவுறும் அறிவுடனே
அடல்செறி துணிவருளே – நம் ஸ்ரீ லங்கா
நமோ நமோ நமோ நமோ தாயே
நமதோர் ஒளி வளமே
நறிய மலர் என நிலவும் தாயே
யாமெல்லாம் ஒரு கருணை அனைபயந்த
எழில்கொள் சேய்கள் எனவே
இயலுறு பிளவுகள் தமை அறவே
இழிவென நீக்கிடுவோம்
ஈழ சிரோமணி வாழ்வுறு பூமணி
நமோ நமோ தாயே – நம் ஸ்ரீ லங்கா
நமோ நமோ நமோ நமோ தாயே
歌詞の意味
母なるスリランカ
我らのスリランカ 敬礼せん 敬礼せん 敬礼せん 汝に敬礼せん
豊かに繁栄せし地よ
愛しき優美な地よ
米と果物に満ち
そして輝かしく香り高き花に満ちる
美しき勝利の地よ
我らに命と善を与えし
歓喜と勝利の地よ
我らの称賛を受け給え
我らは汝を拝む 我らのスリランカよ
我らのスリランカ 敬礼せん 敬礼せん 敬礼せん 汝に敬礼せん
汝は我らに知識と
真理を与え給うた
汝は我らの力と
我らの信念なり
汝は我らの光の神性であり
汝は衆生なり
汝は我らに生命と
自由を与えし存在なり
束縛なき信念を与え給え
永遠に我らに与え給え
知恵と力を新たにし
悪意も 憎しみも 争いも過ぎ去る
愛に覆われし強大なる国
全てが団結して前進する
母よ 我らを完全なる自由へと導き給え
我らは汝を拝む 我らのスリランカよ
我らのスリランカ 敬礼せん 敬礼せん 敬礼せん 汝に敬礼せん
成り立ち
スリランカ民主社会主義共和国の国歌『母なるスリランカ』は、アナンダ・サマラクーンが、ヴィスヴァ・バーラティ大学でタゴールの弟子だった1939年から40年にかけてシンハラ語で作詞・作曲したものです。
「セイロン」という国名で、1948年に英国から独立した後の1951年11月22日に、正式な国歌として制定されました。(1978年に現在の国名に変更されました)
『母なるスリランカ』は、1952年初頭の独立4周年記念日の祝典で500名もの大学生たちによって歌われ、ラジオを通して初めて全国に流され、国民の知るところとなりました。
初期の歌詞には賛否両論があり、1960年代前半に作者の意向に反して若干変更されました。
スリランカでは国歌は学校の朝礼で歌われ、官庁では毎朝流されているようです。
タミル語の禁止と解除
国歌は通常シンハラ語で歌われるが、歌詞は国のもう一つの公用語であるタミル語でも存在し、国内のタミル語圏で通常演奏されます。
政府関係者が公然とタミル語の歌詞を廃止すべきとの見解を示したにもかかわらず、国民の反発によりこの見解は覆され、タミル語の歌詞は現在も公式に使用されています。
しかし、約5年間、国歌をタミル語で歌うことは非公式に禁止されていました。
2010年、当時のマヒンダ・ラジャパクサ政権がシンハラ語版しか歌わせないという案を出したため、国歌をタミル語で歌うことが問題になった。
約5年間、公式行事でのタミル語斉唱は非公式に禁止されていた。
2015年1月にマイティリパラ・シリセーナが大統領に就任した後、禁止令は解除された。
現政権の動きについて、統一国民党の上級指導者で高速道路・高等教育大臣のラクシュマン・キリエラは、「(UNPが率いる)統一国民戦線は、すべての人種と宗教の連合であり、そのためのものだ」とThe Hinduにコメントした。
木曜日のゴール・フェイス・グリーンでのイベントは、シンハラ語版のレンダリングで始まり、タミル語版で終わると彼は指摘し、この動きは最初のI-Day記念日の際にも行われていたことで、何も新しいことはないと付け加えている。
数日前、国営のタミル語日刊紙Thinakaranは、一面に1949年の公式行事の議題を再現したレポートを掲載し、タミル語版の国歌を歌う習慣が当時からあったことを証明した。
当時はシンハラ語とタミル語の「ナショナルソング」という言葉が使われていた。
ラジャパクサ政権のやり方について、大臣は、文書による命令はなかったものの、前政権はタミール語版を歌わせる慣例に従わなかったと述べた。
備考
紀元前4世紀頃に生まれたスリランカのシンハラ語は、スリランカでのみ使われている言語で、パーリ語とサンスクリット語、タミル語の3つの言語が基になっています。
見た目はかなり変わっていますが、文法や単語は日本語に近いと言われています。
参考
・世界の国歌・国旗 単行本 – 2020/3/27 弓狩 匡純 (著)
・Tagore’s influence on Lankan culture
・Sri Lanka I-Day to have anthem in Tamil
・national anthem info Sri Lanka
・Sri LankaSri Lanka Mathaசிறீ லங்கா தாயே
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