世界の国歌 イラン・イスラム共和国

国歌
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世界の国歌について紹介します。

今回は、イラン・イスラム共和国の国歌『』を紹介します。

歌詞

ペルシア語

سر زد از افق مهر خاوران
فروغ دیده‌ی حق باوران
بهمن، فرّ ایمان ماست
پیامت ای امام، استقلال، آزادی نقش جان ماست
شهیدان، پیچیده در گوش زمان فریادتان
پاینده مانی و جاودان
جمهوری اسلامی ایران

歌詞の意味

太陽は昇る 東の地平線より
その光は信仰せし者たちの目を照らす
バフマン月は我らの信仰の頂点なり
イマームの名声 独立 自由は我らの魂に刻まれる
殉教者よ 汝の叫びを我らも聞いている
継続し 永続し 不朽であれ
イラン・イスラム共和国よ

成り立ち

現在の国歌は、イランとしての歴史上、5番目の国歌である。
1873年から1925年まで、イラン(当時はカジャール王朝下のイラン大国)で使われていた国歌は「国王の健康」だった。
1910年から1932年まで、イランには国歌がなかった。
1933年から1979年まで、パーレビ王朝が率いるイランのシャハーンシャー国の国歌は「イラン帝国国歌」であった。
イスラム革命後、1979年から1980年にかけては、よく知られた愛国歌「オー・イラン!」が事実上の国歌として使用された。
1980年、イラン・イスラム共和国の旧国歌「永遠に生きよ、イラン!」が採用された。
1990年、現在のイランの国歌が採択され、承認された。

1980年に始まったイラン・イラク戦争は、終戦するまでに8年もの歳月を要したため国力は弱まり、国民も心身共に深い傷を負いました。
終戦から2年後の1990年に、国のために戦った英雄たちを讃え、戦争によって家族や財産を失った国民を勇気づける目的で国歌のコンテストが開催されました。
その結果、革命歌などを手掛けていた作曲家のハサン・リヤーヒーが作ったこの曲が選ばれました。(歌詞は合作)

歌詞には、1979年に起こったイラン革命の精神的指導者であり、『隠れイマームの再臨』とも呼ばれたウラマー(聖職者)のホメイニ師の名前や、革命が達成されたイラン暦11月の、パフマン月などが登場します。
ちなみに、イラン暦の元日は、日本とは違い太陽が春分点を通過する春分の日(ノウルーズ)と定められています。

参考

・世界の国歌・国旗 単行本 – 2020/3/27 弓狩 匡純 (著)
Iran National Anthem of the Islamic Republic of Iran
سرود ملی جمهوری اسلامی چگونه تغییر کرد؟


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