世界の国歌 トルコ共和国『独立行進曲』(İstiklâl Marşı)

国歌
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世界の国歌について紹介します。

今回は、トルコ共和国の国歌『独立行進曲』を紹介します。

歌詞

1
Korkma, sönmez bu şafaklarda yüzen al sancak;
Sönmeden yurdumun üstünde tüten en son ocak.
O benim milletimin yıldızıdır, parlayacak;
O benimdir, o benim milletimindir ancak.


2
Çatma, kurban olayım çehreni ey nazlı hilâl!
Kahraman ırkıma bir gül… ne bu şiddet bu celâl?
Sana olmaz dökülen kanlarımız sonra helâl,
Hakkıdır, Hakk’a tapan, milletimin istiklâl.

3
Ben ezelden beridir hür yaşadım, hür yaşarım.
Hangi çılgın bana zincir vuracakmış? Şaşarım!
Kükremiş sel gibiyim; bendimi çiğner, aşarım;
Yırtarım dağları, enginlere sığmam, taşarım.

4
Garb’ın âfâkını sarmışsa çelik zırhlı duvar;
Benim iman dolu göğsüm gibi serhaddim var.
Ulusun, korkma! Nasıl böyle bir îmânı boğar,
“Medeniyet!” dediğin tek dişi kalmış canavar?

5
Arkadaş! Yurduma alçakları uğratma sakın;
Siper et gövdeni, dursun bu hayâsızca akın.
Doğacaktır sana va’dettiği günler Hakk’ın…
Kim bilir, belki yarın… belki yarından da yakın.

6
Bastığın yerleri “toprak!” diyerek geçme, tanı!
Düşün altındaki binlerce kefensiz yatanı.
Sen şehîd oğlusun, incitme, yazıktır atanı;
Verme, dünyâları alsan da, bu cennet vatanı.

7
Kim bu cennet vatanın uğruna olmaz ki fedâ?
Şühedâ fışkıracak, toprağı sıksan şühedâ!
Cânı, cânânı, bütün varımı alsın da Hudâ,
Etmesin tek vatanımdan beni dünyâda cüdâ.

8
Ruhumun senden, İlâhî, şudur ancak emeli:
Değmesin ma’bedimin göğsüne nâ-mahrem eli!
Bu ezanlar-ki şehâdetleri dînin temeliEbedî yurdumun üstünde benim inlemeli
O zaman vecd ile bin secde eder –varsa- taşım;

9
Her cerîhamdan, İlâhî, boşanıp kanlı yaşım,
Fışkırır rûh-i mücerred gibi yerden na’şım;
O zaman yükselerek Arş’a değer, belki başım.
Dalgalan sen de şafaklar gibi ey şanlı hilâl;

10
Olsun artık dökülen kanlarımın hepsi helâl.
Ebediyen sana yok, ırkıma yok izmihlâl:
Hakkıdır, hür yaşamış bayrağımın hürriyet;
Hakkıdır, Hakk’a tapan milletimin istiklâl!

歌詞の意味

(訳)大熊真龍・林佳世子

1.
恐れるな!暁にたなびくこの赤い旗は、決してなくなる事はない
消えることなく、我が祖国の上に煙たなびく最後の炉
それは我が民族の星、キラキラと輝く
それは我がもの、唯、我が民族のものなのだ
2. 
額を歪めるな、お前のために犠牲となろう、たなびく新月旗よ
勇敢なる我が民族に微笑め。何という激しさ、何という怒り
しかし、微笑まなければ、流れた我々の血がお前のものとならない
独立は、神を慕う我が民族の権利である
3. 
私は大古から自由に生きてきた、そしてこれからも自由に生きる
一体どんな輩が私を鎖で叩くというのか?馬鹿な!
私は荒れ狂う洪水のようだ、堰を越え、溢れ出す
山々を引き裂き、大洋へ出ても収まらない、さらに溢れる
4. 
鋼で覆われた壁が、西方の地平線を取り囲んだとしても
私には信仰で満ちた胸と同じように、自由な境界がある
気高い国民よ、恐れるな!お前が<文明>と呼んだ、歯の抜け落ちた野獣が
この信仰を一体どうやって抑えつけるというのか
5. 
友よ、我が国土に卑しきものを入れてはならない、決して!
守るのだ、この恥知らずな襲撃の本体を押し止めるのだ
お前に神が約束された日々が訪れようとしている
それが明日か、明日よりもっと近いか、誰にわかろう
6. 
今踏みしめている場所はただの<土地>ではない、知るがよい!
思い出せ、足下に幾重にも埋められた白布に包まれない死体を
お前は、殉教者の息子なのだ。父祖を傷つけるな。それは、恥ずべきこと
渡すな、たとえ世界を手に入れようとも、この天国の如き祖国だけは
7. 
だれがこの天国たる祖国のために犠牲になれないだろうか
殉教者が地面を埋め尽くそうとも、さらに殉教者が溢れ出す
神よ、私の魂、最愛の者、私の全てに替えても
私を、この世界で唯一の祖国からだけは引き離すな
8. 
我が魂のあなたへの唯一の望みは、次のこと
余所者の手が、我が聖なる場所の胸もとを触らないように
エザーン――信仰の告白は宗教の礎――が
永遠なる我が祖国の上に響くべし
9. 
もし私の墓石が残っているならば
その時、恍惚として千回ひれ伏すであろう
ああ神よ、あらゆる傷口から、血の涙が溢れ出す
若者の魂の如く、地面から私の屍が甦る!
その時、私の頭は上昇しつづけ、最上天に達する!
10. 
ああ、誉れ高い新月旗よ、お前も暁の太陽のように波打つがよい
流れた私の血の全てを、ついにお前のものとするがよい
永遠に、お前に、そして我が民族に滅亡はない
自由は、自由に生きてきた我が新月旗の権利
独立は、神を慕う我が民族の権利なのだ

成り立ち

国歌の『独立行進曲』は、独立戦争中の1921年3月21日に、政府によって国歌として採用されました。
軍隊の士気を高めるために、西軍参謀本部は中等教育局長のカズム・ナミ・ドゥルに依頼し、作詞に500リラ、作曲に1000リラの賞金がもらえるコンペティションを開催しました。
学校の回覧板を利用し、新聞に広告を掲載したことで参加率は非常に高く、短期間で有名な作詞家を含む724点の応募がありました。
いずれも愛国心、自由、独立を表現した作品であったが、委員会は国歌にふさわしいものはないと判断しました。

ムスタファ・ケマル・パシャ(独立・建国の父)、ハサン・バスリー・チャンタイ(トルコ大国会1期副議長・自身の著作で民族闘争を支援)、国民教育大臣のハムドゥラ・スプヒ・ベイ(熱狂的な演説で有名)は、この仕事はメフメト・アキフ・ベイにしかできないと考えました。
一方、メフメト・アキフ・ベイは、賞金が出るからということで応募しませんでした。
彼は、国歌が賞金で書けるとは思っていなかったのです。
しかし、アキフはハムドゥラ・スプヒと親友のハサン・バスリーの要望を断ち切ることができず、国歌を書き上げ、省に提出しました。

当時、苦戦していた前線の兵士たちに歌詞を読んでもらうと、兵士の士気が上がったため、評価されました。
軍部の賞賛を浴びたこの詩は、1921年3月12日、国会で朗読され、拍手喝采で受け入れられました。

歌詞が決定したことで、続いて曲のコンペティションが開かれ、24名の作曲家が参加しました。
しかし、独立戦争中で国が厳しい状況にあったため、結果を判断するための評価はできませんでした。
そのため、アキフの歌詞は、各地でさまざまな編成で歌われるようになりました。
作曲家の多くは音楽教師で、それぞれが自分の勤務先で自作を演奏させることで世論を作ろうとしたのです。
このような状況が数年続いた後、独立戦争が終わった後の1924年に国民教育省に招集された委員会は、アリ・ルファト・チャアタイの作曲を評価した上で受け入れ、全国で国歌の統一が図られました。

しかし、選考委員は有識者で構成されていたわけではなく、委員長のセミ・ルファトはアリ・ルファトの弟で、評価は客観的ではありませんでした。
批判を受けて、ムスタファ・ケマルは予選の結果を取り消したが、国の事情もあり、当面の間、新たな評価は行いませんでした。

一方、オスマン・ゼキ・ベイは、選考の結果を好まず、自分の作曲が一番だと考えていました。
イスタンブールで宮殿のオーケストラの指揮者をしていたオスマン・ゼキ・ベイは、友人たちとアンカラに逃げてきました。
アンカラで開催されるコンサートで、オーケストラを指揮することになったオスマン・ゼキ・ベイは、最初の議題である国歌斉唱で、自作曲を歌うことを決意しました。

12月11日(日)の夜、コンサートがスタートし、ケマル・アタテュルクが入場すると、オーケストラはすぐに国歌を演奏し始めました。
国歌斉唱が終わると、オスマン・ベイはアタテュルクに近づき、「パシャ、これが我々の国歌だ」と挨拶しました。
アタテュルクは、「オスマン・ベイに神の祝福を!とても気に入った!よくやった!」と言いました。
その日から、国歌はオスマン・ゼキ・ベイ作曲のものが歌われるようになりました。

歌詞は、公用語であるトルコ語で書かれています。
歌詞は10節までありますが、国家としては最初の2節が歌われています。
国連加盟国の中ではトルコだけが認めている北キプロス・トルコ共和国も、『独立行進曲』を国歌として使用しています。

参考

・世界の国歌・国旗 単行本 – 2020/3/27 弓狩 匡純 (著)

アバウトトルコ トルコについての情報 トルコ共和国の国歌

İSTİKLÂL MARŞ

İstiklal Marşı’mız Nasıl Yazıldı?

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