スペイン王国『国王行進曲』(Marcha Real)

国歌
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世界の国歌について紹介します。

今回は、スペイン王国の国歌『国王行進曲』を紹介します。

楽曲

スペイン国歌には歌詞がありません。

楽譜はこちら

成り立ち

最初の記録は、1761年にマヌエル・デ・エスピノーサ(Manuel de Espinosa)が書いた『スペイン歩兵の信号ラッパの命令の本に登場し、「グラナデラ行進曲」と題されていますが、作曲者は不明です。
※グラナデラとは、擲弾兵が手榴弾を入れるために持っていたササゲの袋を意味する。

1770年、カルロス3世はこの曲を公式な「名誉の行進曲」とし、それにより公式行事や儀式といった演奏の場が与えられることになった。
王室が来臨している公式行事で常に演奏されたため、スペインの民衆はすぐにこの曲を国歌とみなすようになり、「国王行進曲」と呼ぶようになった。

スペイン国歌には、歌詞がありません。
しかし、オリンピックなど国際的なスポーツ大会では、国歌を歌いたいといった声は、国民から何度も上がっていました。
そこで、2007年6月にスペインのオリンピック委員会が歌詞の募集を行ったところ、全国から約7000件もの作品が集まりました。
審査の結果、作詞家のパウリーノ・クベロの作品が選ばれました。

しかし、歌詞に「スペイン万歳(Viva España)」という言葉が含まれていたため、「かつての独裁政権(フランコ将軍時代)のスローガンを思い出させる」という反対意見が国民から寄せられたため、国歌に歌詞を付けるという試みは、見送られました。

歌詞が付いた可能性

「国王行進曲」は、弾圧された後に復活し、19世紀半ばまで演奏され続けました。
1868年、プリム将軍とセラーノ将軍、トペテ提督がイサベラ2世と半島の古い制度に反旗を翻したように、この時期はスペインにとって非常に激動の時代でした。
女王支持派を打ち負かすことに成功した「進歩派」と呼ばれる人々は、国の制度や国の象徴を抜本的に見直すことにしました。
その中でも「擲弾兵行進曲」は、アンシャンレジーム(旧体制)の音楽と考えられていたため、このような改編を免れませんでした。

そのため、「擲弾兵行進曲」から「王家の行進曲」というカテゴリーが削除され、1870年9月4日には、軍隊が目上の人に敬意を表するための新しいメロディーを探すためのコンクールが開催されました。
しかし、プリム(当時の運動指導者)の考えはそれ以上で、優勝した曲を「国民行進曲」つまり、スペインの国歌にしたいと考えていたのです。

また、コンクールのルールを定めた命令書(プリム自身の署名入り)には、メロディーは「コンパス・デ・コンパスィージョで、華麗で荘厳なスタイルで、規則的なテンポで作曲すること」、優勝した作曲家には「名誉ある勲章と2,000ペセタ」が授与されることが明記されていました。
選曲の客観性を確保するため(また、作曲家の政治的思想が影響しないようにするため)、政府は楽譜を作曲家の名前と住所、最後に行進曲の呼び方を書いた封書で送るように命じました。

コンペ開始後、447点の応募がありましたが、デル・ボッシュ氏によると、もっと多くの応募があった可能性もあるとのことです。
「作者の中には、トマス・ブレトン、4つの行進曲を持つルペルト・チャピ、フェデリコ・チュエカ、マヌエル・ペネラなど、当時の最高の音楽家が含まれていた」と専門家は語ります。

テーマは、革命後には当然のことながら、王政の崩壊、アルコレアの戦い(グアダルキビル川のほとりで、イザベラ2世の軍隊と反乱軍が戦い、後者が勝利した)、祖国などが多かったようです。
その中には、マルセイエーズとの共通点もありました。

審査員は、ミゲル・ヒラリオン・エスラバ、フランシスコ・アセンホ・バルビエリ、パスクアル・ファン・エミリオ・アリエタの3人の作曲家が選ばれ、メロディを決定しました。
しかし、音楽学者でもあるバルタサル・サルドーニが病気のために交代しました。
最大で3つの作品を選ばなければならないという難しい課題があり、あまりにも大変な作業だったようで、数日後に「国歌になるようなクオリティーのものはない」と判断され、コンペは「無効」とされてしまいました。

「4人の作曲家の誰もが、民衆の意識に深く根ざした国歌の弾圧の主人公として歴史に名を残したくはなかったのです。
彼らは、その芸術性にはあまりこだわりませんでした。
というのも、提出された曲の中には非凡なものがあるはずだからです。

しかし、彼らは「私たちの古い王室行進曲」について、芸術的には最高であり、発明できる中で最も適切であると主張しました。
そこで彼らは、デル・ボッシュが述べたように、「国民の歌においては、芸術的な良し悪しにかかわらず、慣習や人々の気まぐれによって与えられた意義が大きな役割を果たしている」という論点で、自分たちの判断を正当化しました。

このコンペは中止され、「Marcha Granadera」(グラナデラ行進曲)が採用されました。
この決定を受けて、1871年1月8日、「Marcha Real」(旧「Marcha de Granaderos」)がスペインの「ナショナルマーチ」に選ばれました。

この決定を下したのは、サボイ家のアマデオ1世(議会で選出されてイタリアからやってきた君主)でした。
このようにして、それまでどこから見てもそうであったメロディーが、正式に国歌として認められることになったのです。
しかし、アレンジを加えて吹奏楽で演奏できるようになったのは20世紀に入ってからです。

スペインの街並み・風景

アンダルシアの風景
スペイン・グラナダの街並み
モンセラット登山鉄道からの景色
サグラダファミリア
スペインの街並み

参考

・世界の国歌・国旗 単行本 – 2020/3/27 弓狩 匡純 (著)

レファレンス協同データベース

ABC CULTURA HISTORIA El Himno español, una marcha militar con un origen muy misterioso

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