世界の国歌について紹介します。
まずは、日本の国歌である君が代から紹介します。
歌詞
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで
歌詞の意味
『君が代』を現代語訳すると、以下のようになります。(憲法や法律等で定まっていません。)
君が代は
千年も八千年も
小さな石が大きな岩となって
(その岩に)苔が生えるまで(長く続きますように)
「君が代」とは何なのか
元々、「君」とは「あなた」「主人」「君主」などを意味する言葉で、様々な解釈が出来ました。
しかし、明治時代になって、『君が代』を国歌とする際に、「君」は「天皇」を意味すると決定しました。
第二次世界大戦後、日本は日本国憲法のもと、国民主権が基本原則となりました。
そこで、「君」が「天皇」を意味するのは国民主権に反するのではないかという懸念を受けて、「国旗国歌法」が成立した1999年に、当時の政府は『君が代』について以下のように説明しています。
(「君」とは)「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す」「『代』は本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる」(君が代の歌詞を)「我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当」
要するに、「君」は「天皇」を意味するが、「君が代」は「天皇、及び日本国」のことを指すので、戦前の天皇礼賛ではなく、国家の繁栄と平和を祈るものと解釈しています。
歌詞の由来
『君が代』の歌詞の由来は、『古今和歌集』の343番に収録されている和歌で、「我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」となっており、最初の部分が少し異なる。
上記の和歌は、題名や、詠み人も判明していないため、『古今和歌集』が作られた以前から、存在していた可能性があります。
国歌「君が代」の成り立ち
明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン (John William Fenton, 1831-1890) の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。
しかし、日本人の感性に合わなかったことから、明治9年に初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(後中村祐すけ庸つねと改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入りました。
その結果、新たに作り直されたのが現在の国歌「君が代」です。明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されました。この時点では、いわゆる国歌としての位置付けで取り扱ったのは、海軍省と宮内省のみでした。
国旗国歌法の制定
「君が代」は明治時代以降、日本の国歌として歌われてきましたが、法的に根拠がないということで、平成11年8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が国会で成立、13日に公布し、次のように即日施行されました。
法律第百二十七号
国旗及び国歌に関する法律
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
附 則(施行期日)1 この法律は、公布の日から施行する。(商船規則の廃止)2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。(日章旗の制式の特例)3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。別記第一(第一条関係)日章旗の制式
![]() | 一 寸法の割合及び日章の位置縦 横の三分の二日章直径 縦の五分の三中心 旗の中心二 彩色地 白色日章 紅色 |
別記第二(第二条関係)君が代の歌詞及び楽曲
一 歌詞君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで | 二 楽曲![]() |
現在とは異なる「君が代」
明治14(1881)年に編纂された「小学唱歌集初編」に「君が代」という題の唱歌が掲載されていますが、これは現在の『君が代』とは異なるもので、歌詞も2番までありました。
歌詞は以下の通りです。
第二十三 君が代
一
君が代は ちよにやちよに
さゞれいしの 巌となりて
こけのむすまで うごきなく
常磐(ときは)かきはに かぎりもあらじ
二
君が代は 千尋(ちひろ)の底の
さゞれいしの 鵜のゐる磯と
あらはるゝまで かぎりなき
みよの栄を ほぎたてまつる
参考
・初代「君が代」 単行本 – 2018/3/21 小田 豊二 (著)
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