台湾の歴史 先住民とオーストロネシア語族

歴史
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今回は、現在も台湾に住む先住民(台湾では原住民と呼ぶ)について解説します。

台湾の公用言語である台湾国語では、「先住民族」は”既にいなくなってしまった民族”という意味があります。一方、「原住民族」は”元々居住していた民族”を指し、台湾では差別的な意味を持たず公式的に使用されています 。

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台湾の先住民とは?

現在台湾で広く使われている「四代群族」(民族集団)という言い方は、現在の住民を福佬人、客家、外省人、先住民族に分ける方法である。

しかし、先住民族を一つの種類に括ってしまうことは、先住民族間の違いを曖昧にし、誤解を招きやすく、本当に先住民族は「山地語」という共通語を話していると信じる人が出てくるかもしれない。

高山族と平埔族

台湾の先住民族は、一般的に高山族と平埔族に分けられます。

高山族は山に住む先住民族であり、平埔族は平地に住む先住民族とされていますが、正確ではありません。

なぜなら、高山族に属するアミ族は東部の平地に住んでいるからです。

では、平埔族と高山族との差異は一体何なのでしょうか?

簡単に言えば、これは漢人が区別したものであって、先住民族自身が決めた分類ではありません。

清朝の雍正帝時代の文献では、「平埔土番」とは、西武平野と東海岸に住み、官府に「納輸・応徭」(納税・服役)する先住民としています。

清朝では、行政は先住民族の基本分類を「生番」、「熟番」、「化番」に分けました。

「生」と「熟」は「教化を受けた」(=漢化された)ことと、「服属して納税する」か否かを判断の基準とし、漢化されていれば「熟番」で、されていなければ「生番」であり、両者の中間が「化番」でした。

「番」という字は先住民族を指していたが、現在では差別的であるとして、適当ではないと考えられていますが、歴史研究においては、当時の状況を理解する必要があるため、「番」という字が使われます。

先住民族の分類

先住民族は、かつては「高砂族」や「山地同胞」とも呼ばれていましたが、1980年代からの「正名運動」を通して、現在は「原住民」が正式名称となりました。

※中国語で「先住民」は「既にいなくなった人々」という意味を持つので、台湾では「先住民」ではなく、「原住民」と呼ばれる。

「高山族」は一般に9族に分けられるが、平埔族の分類は、今日でも議論が続いているので、ここでは一例として10族の分類を紹介します。

高山族は、タイヤル、サイシャット、ブヌン、ツオウ、ルカイ、パイワン、プユマ、アミ、タオ(ヤミ)の9族に分かれます。

平埔族はケタガラン、クヴァラン、タオカス、パゼッヘ、パポラ、バブサ、ホアニア、サオ、シラヤ、カウカウトの10族に分かれます。

現在、クヴァラン、パゼッヘ等がかろうじて一脈を伝えているものの、他の平埔族は名前のみが存在し、受け継いでいる人はいません。

族譜、土地契約書、祭祀儀礼などで、わずかな痕跡が辿れる程度であり、彼らの子孫の大半は、漢人社会に融合してしまっています。

故に、現在も台湾に住んでいる「原住民」と言うと、基本的には高山族のことを指します。

アミ族

アミ族は主に中央山脈の東側、太平洋沿岸の台東縱谷と海岸平地に居住し、人口は約206,813人(2017年4月現在)で、台湾原住民族のなかでもっとも人口が多い部族です。

アミ族は母系社会と男子年齢組織制度により、男女の仕事と権力支配のバランスをうまく維持しています。男性は年齢階級制度により、目上の人を敬い服従することが決まりで、雑用的事務仕事や労働的な仕事は若い青年たちが担います。

アミ族は 歌や踊りに優れており、服飾も華麗でどちらも非常に有名です。

タイヤル族

タイヤル族は主に台湾中北部両側の山間部に居住しています。

その分布範囲は東は花蓮タロコ、西は東勢、北は烏來、南は南投県仁愛郷にまで及び、台湾原住民族のなかで最も分布範囲が広い部族です。人口約88,571人(2017年4月現在)となっています。

タイヤル族に伝わる伝説によると、祖先は中央山脈大霸尖山一帝の白石山に居住し、十八世紀ごろから、西北部と東部及び西南部の方向へとぞれぞれ分散していったそうです。

タイヤル族の男性は勇敢で狩猟に長け、女性は布織りの技術が優れていることで有名です。昔、成人となった証或いは栄誉の象徴とされるタトゥーを男女共顔面に彫る風習があったほか、同時期に首狩りが盛んに行われていましたが、日本統治時代に厳重に禁止されてからこれらの習慣はなくなりました。

現在では、山奥に住む八十歳以上のお年寄りにおいてのみ顔面にタトゥーが彫っているのを見ることができます。

サイシャット族

サイシャット族は新竹と苗栗の境にある五峰郷・東河郷・獅潭郷などの山間部に居住しています。人口は約 6,547人です。(2017年4月現在)

周囲をタイヤル族と客家村に囲まれており、文化的には漢民族とタイヤル族の影響を強く受けています。

言語学者の研究によると、サイシャット族の言語は比較的古い南島語言で、 祖先はかなり早い段階で台湾へ渡って来たものとされます。

ブヌン族

ブヌン族は中央山脈両側の海抜1000~2000mにある山間部に居住し、台湾原住民族のなかで最も高い場所に居住する部族で人口は約 57,630人です。(2017年4月現在)

ブヌン族は父系氏族制度を主とした大家族が一般的な家族の形です。平均でも十人家族で、多いところになると二十~三十人がともに暮らします。

1953年にはブヌン族の音楽が、国際民族音楽学会にて黑澤隆朝により披露されたことにより、民族音楽学会で大注目されました。

ツォウ族

ツォウ族は主に阿里山・南投県信義郷・高雄の桃源郷や三民郷など、ブヌン族と同様に海拔の高い山の上に居住しており、人口は約 6,608人です。(2017年4月現在)

ツォウ族は厳格な父系氏族社会制度があり、大小の社によろ統合された政治的組織を中心 としています。

集落にある男子集会所「クバ(kuba)」は、重要事項についての話し合いの場であったり、祭事の実施する場所や男性を訓練する場所として使用されており、女性が入ることは禁止されています。

パイワン族

パイワン族は主に中央山脈南端及び東部海岸山脈の南端など台湾南部に居住しています。大武山を祖先発祥の地としていて、人口約 99,298人です。(2017年4月現在)

パイワン族とルカイ族には社会階級制度があり、頭目・貴族・平民の区別があります。家族は長男或いは長女が継承し、職務上の職位などもあります。

昔は頭目及び貴族は家屋・器に百步蛇紋などの彫刻をなしたり、衣服に宇宙神図案などの図案を施したりしていました。

ルカイ族

ルカイ族は中央山脈南端の山間部に居住しており、人口は約13,168人(2017年4月現在)です。

ルカイ族の社会組織制度はパイワン族と類似している点が多くあり、パイワン族と同じく社会階級制度により頭目・貴族・平民に区別されます。

父系社会で、家を継ぐのは長男の役目です。昔は集落において頭目がでしたが、時代とともに社会階級制度は昔のようには根付いておらず、一般的には頭目か平民かの区別のみになりました。

プユマ族

プユマ族は主に台東縱谷南方の平地に居住しており、プユマ族の人口は約13,901人(2017年4月現在)です。

プユマの名はプユマ族の八大社のなかで最も勢力のある「卑南(Puyuma)社」から取っています。

伝統的にはプユマ族は母系社会制度を採っており、男性は女性の家に婿入りすることが原則とされていますが、社会形態の変化により、このような風習は次第に父系社会制度へと変化しております。

宗教については、伝統的な宗教が依然として行われ、占い師は女性の職業とされ、部族の者たちの病を治療しています。その他、プユマ族ではカトリック教徒が多くなっています。

タオ(ヤミ)族

タオ(ヤミ)族は人口約 4,550人(2017年4月現在)で台湾東南海面の蘭嶼島に居住しています。

かつて、タオ族はヤミ族と称されていましたが、この名称は日本人学者鳥居龍蔵が命名したもので、タオ族の言語において「ヤミ」ということばに意味はありません。

タオ族は、台湾本島に居住する原住民は同じく南島民族に属しますが、文化や風習は台湾本島に居住する原住民とは異なります。

蘭嶼島の周囲は海に囲まれており、その独特な自然環境により太平洋に相互依存したタオ族の暦や生活方式を生み出しました。さらには、建築・船・生活器具から垣間見れる芸術面においても影響を与えており、いずれも独特な風格があります。

サオ族

サオ族の多くは日月潭のほとりにある日月村に居住しています。そのほか、頭社系統のサオ族も少数ですがいます。

彼らは水里郷頂崁村の大平林に居住していて、双方を合わせると人口は約776人です。(2017年4月現在)

サオ族の代表的な祖霊崇拝の方法の一つに、「祖霊かご(公媽籃)」があります。かごのなかに祖先が遺した衣服や装飾品を年代の早い順に入れ、祖先の居場所を示して家族の幸せを祈ります。

カヴァラン族

カヴァラン族は、2002年に台湾政府から十一番目となる台湾原住民族の部族として認定されました。

主に花蓮と台日東一帯に居住しており、新社や立德など少数の集落で言語や伝統文化がまだ残っているのみとなっています。人口は約1,441人(2017年4月現在)です。

カヴァラン族は母系制度社会で、巫師は全て女性です。男性は年齢階級による組織があります。

タロコ族

タロコ族は花蓮県秀林・萬榮・卓溪郷一帯の山に居住しています。人口は約30,963人(2017年4月現在)です。

本来はタイヤル族東セデック群の属していると考えられていましたが、2004年に台湾政府から十二番目となる台湾原住民族の部族として認定されました。

タロコ族は、アニミズム(生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え)の考えを持っていて、子孫は「gaya」(祖先が定めた規範や教訓)に従うことで祖霊からの守護を受けることができると信じています。

サキザヤ族

サキザヤ族は現在の花蓮県に居住しており、人口は約896人(2017年4月現在)です。

サキザヤ族は、滅亡を免れるためにアミ族に紛れて暮らしていたため、日本統治時代ではサキザヤ族はアミ族とされていました。

サキザヤ族は2001年頃から、伝統的な祭りや踊りそして服装などを中心とした文化の再復興運動を積極的に行っています。

何回もの調査を経た後、歴史から一度は消えることになってしまったサキザヤ族は2007年に台湾政府から13番目となる台湾原住民族の部族として認定されました。

セデック族

セデック族の人口は約 9,771人(2017年4月現在)です。

2008年に政府から十四番目となる台湾原住民族の部族であるセデック族として認定されました。

タイヤル族やタロコ族と同様に、女性は布織りができる証として、男性は勇敢な証として顔面にタトゥーをする風習があります。

台湾の先住民族とオーストロネシア語族

台湾先住民族を理解するには、「オーストロネシア語族」と「オーストロネシア語」を理解する必要がある。

台湾の高山族と平埔族の言語は、ともにオーストロネシア語系に属し、別名マライ・ポリネシア語系とも呼ばれます。

オーストロネシア語は、世界でその種類が最も多い語族(約500種)であり、また地理分布が最も広範な言語であり、全世界でおよそ1億7100万人の人がこの種類の言語を話している。

故に、台湾の先住民族が話す言語とマレー語(インドネシア語)やフィリピン諸語とは同一語族に属し、太古の時代に同じ言語であった可能性が高い。

しかし、同一語族であるからといって、「通じる」わけではない。

例えば、漢語を例に考えると、漢語はチベット語と共にシナ・チベット族に属するが、互いに通じないし、それどころか漢語の各方言の間でも、通じないことがある。

日本でも、九州や東北の方言は他の地方出身の人には理解できないことがあります。

オーストロネシア語の起源については、台湾や中国東南部、インドネシアなど、様々な説が提唱されているが、学会ではまだ定論がない。

以上のように、台湾に住む各先住民族間の関係は、「先住民」という一つの名称でまとめられるものではないのです。

先住民族集団間でも言語は通じないことが多く、そもそも他の民族集団と長い間接触がないことも珍しくなかった。

参考

・増補版 図説 台湾の歴史 単行本 – 2013/2/18
周 婉窈 (著), 濱島 敦俊 (監修, 翻訳), 石川 豪 (翻訳), 中西美貴 (翻訳), 中村 平 (翻訳)

台湾原住民族について

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