台湾の古代史 先史時代の台湾

歴史
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台湾の先史時代とは?

「台湾の歴史」と言うと、大抵の場合は近代以降の歴史のことを指します。

「歴史時代」とは、一般に文字記録のある時代のことであり、台湾本島ではおよそ17世紀に始まります。(澎湖諸島ではもっと早く、中国の宋代から始まる)

近代以前の台湾に住んでいた原住民の言語は口語と固有の絵文字のみで、文字がなかったため、中国大陸に残されたわずかな資料以外は、ほとんど記録がありませんでした。

故に、台湾本島では16世紀頃まで先史時代が続いていたと考えられています。

台湾最古の人類

しかし、台湾では「古代」の時代より人類が居住していました。

考古学者は、台湾では3万から5万年前に人類が活動していた遺跡があることを示しており、現在ではそれが台湾最古の人類だと考えられています。

当時の地球は氷河期であり、台湾海峡はまだ大陸と陸続きで、人間と動物はアジア大陸から直接やって来ることが出来ました。

そして、約1万8000年前から1万年前、地球の氷河期が終了し、気温が次第に上昇、それに伴って海面も上昇し、地理景観に大きな変化が起こりました。

『詩経』では「高い谷は谷となり、深い谷は丘となる」と表現されるほどの劇的な地形の変化でした。

旧石器時代、新石器時代から金属器時代まで、台湾の各地で様々な先史文化が存在しました。

台湾先史時代の遺跡と文化

先史文化の名称は、一般にその文化を発見した最初の遺跡の所在地名から命名されます。

例えば、円山文化は最初に現在の円山で発見され、大坌坑(だいふんこう)文化は台北県八里区大坌坑で発見され、河姆渡文化は中国浙江省余姚県の河姆渡村で発見されました。

しかし、時期の異なる人類が、同一の地域で活動していた可能性があるため、一つの遺跡の下に更に古い時代の遺跡が残されていることもあります。

円山遺跡の下には大坌坑文化の文化層が広がっています。

台湾の先史文化の遺跡は既に1500か所以上発見されており、重要な遺跡も100か所以上存在します。

ここでは、そのうちの長濱文化、大坌坑文化、円山文化を紹介します。

長濱文化

台湾で現在発見されている先史文化のうち、最古のものが長濱文化であり、推定3万年以上前から始まり、5000年前頃には消滅していたとされています。

台湾に最初に現れた左鎮人の文化かもしれないと考えられています。

長浜文化は、漁・狩猟を中心とする群れの社会で、人工はあまり多くなく、主に海の近くの洞窟や岩陰に住み、農耕の方法は知らず、土器の作り方も知らず、石を割り石器を作っていました。

出現時期には台湾はまだ大陸と陸続きだったので、大陸系統の旧石器文化と関係があると見られています。

しかし、長濱文化に続く新石器時代の文化は、恐らく長濱文化の変化したものではなく、台湾が島となった後に、中国華南部あるいは東南アジアから移ってきたものと考えられています。

大坌坑文化

大坌坑文化は新石器時代早期の文化であり、様々な調査によって異なるものの、およそ6000年前から4200年前だと推定されています。

大坌坑文化は、広い定義では、福建省南部と広東を含み、河姆渡文化と互いに関係を持っていたとされますが、近年、ほとんどの学者は狭い定義を採用し、台湾のみに分布していると考えられています。

オーストロネシア語族の祖先に分類され、農業や狩猟を行って生活していました。

大坌坑文化を基礎として変化、発展していったものとしては牛馬頭、牛稠子文化などがあります。

円山文化

円山貝塚

台北の円山文化は、大坌坑文化の後を継いで、台北盆地の北側に興った地域文化です。

円山文化の年代は、約四千五百年前から始まり、約二千年前に消失、もしくは変化したと考えられています。

円山遺跡は最も早く発見された遺跡の一つで、その発見は台湾に先史時代が存在したことを確定し、台湾考古学の研究と発展をもたらした。

円山遺跡は日本統治時代初期(1897年)に発見され、「円山貝塚」の名で世に知られました。

貝塚とは、遺跡が大量のシジミと牡蠣、つぶ貝などの貝殻が積み重なってできたもののことで、当時の人が食後に捨てた「ゴミの山」なので、当時の暮らしを知るために重要なものです。

円山文化の貝塚は一か所だけでなく、そのうち最大のものは台湾全土最大の規模を持つ貝塚であって、埋蔵遺跡もありました。

他にも、円山遺跡では、大型の砥石や獣骨、食器の破片なども発見されています。

日本統治時代にも調査は行われましたが、正式な発掘調査は戦後、1953年、1954年に行われ、円山文化の年代を確定しただけでなく、遺跡には異なる文化層が存在し、すぐ下には大坌坑文化の文化層があることも発見されました。

しかし、日本統治時代から現在にかけて(主に光復後)、円山遺跡の上には寺や動物園、遊園地などが建てられ、外郭には絶え間なく住宅や道路が建設され、遺跡はほとんど破壊されてしまいました。

現在一級古跡に認定されている円山遺跡は、台北市立児童育楽センターの片隅に縮こまっており、雑草が生い茂っています。

十三行文化

十三行遺跡は台北県八里区にあり、1957年第二級国家遺跡として認定されました。

研究によると、今から約1800年前から500年前の台湾の鉄器時代文化に属しており、平埔族(原住民)のケタガラン族と関係があるとしています。

十三行遺跡からは、鉱石や石炭、鉄器などが発見されており、その時代の住民たちが鉄を作る技術を持っていたことが分かります。

銀、銅を原料とした銅碗、銀器や銅幣も遺跡中から発見されたことから、十三行文化は農業や漁業だけでなく、商業も非常に活発に行われており、東南アジアや唐・宋・元の中国とも往来があったことが明らかになりました。

しかし円山遺跡と同様に、十三行遺跡も、汚水処理場建設工事のために破壊され、現在残っているのは元の5%程度と言われています。

台湾の先住民族について知りたい方はこちら

参考

・増補版 図説 台湾の歴史 単行本 – 2013/2/18
周 婉窈 (著), 濱島 敦俊 (監修, 翻訳), 石川 豪 (翻訳), 中西美貴 (翻訳), 中村 平 (翻訳)

台湾原住民諸語を巡る諸問題と言語的共生への方策

国立台湾史前文化博物館 台湾先史時代の幕開け

台湾大百科全書 大坌坑文化

国立台湾博物館 台湾の有史前人類のゴミ捨て場¬円山貝塚

台湾交通部観光局 十三行博物館

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