プロタゴラス

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今回は、古代ギリシアのソフィスト(弁論家)、プロタゴラスについて解説します。

プロタゴラスとは?

プロタゴラス・・・古代ギリシアのアテネで前5世紀に活躍したソフィスト(弁論家)。

ソフィスト(弁論家)・・・元々は「知恵のある人・賢者」という意味だが、前5世紀頃にはギリシアのポリスを巡回しながら謝礼金を取って教養や弁論術を教える職業をさすようになった。

原子論を唱えたデモクリトスと同時期に活躍したプロタゴラスは、晩年アテナイで無神論の罪に問われ、彼の書物が焼かれたため、現在ではごくわずかな断片が残っているのみである。

残された断片を紹介しつつ、彼の思想を解説していきます。

人間尺度

プロタゴラスの思想を端的に表す言葉と言えば、広く知られている「人間尺度」であろう。

人間が万物の尺度である。すなわち、そうあるものについては そうあるということの、
そうあらぬものどもについては そうあらぬということの(尺度である)。

感覚(知覚)されるものと真実在とを厳密に区別し、ただ思惟によってのみ把握しうる、絶対的な、普遍の実在を措定するエレア学派を批判するものである。

実在や、知の絶対的基準がそれ自体としてあるのではないこと、それを見聞する人間にとっての何かであるに過ぎないことを主張する点で、相対主義の立場を表明する。

プロタゴラスの著作として最大のものであったとみられる『反対の論』は、「あらゆる事柄・問題について、互いに正反対の言論があり得ること」を、様々な事例について論じたものだと推定されるが、この著作も「相対主義」の主張である。

神々については、彼らが存在するということも、存在しないということも、姿形がどのようなものであるかということも、私は知ることができない。それというのも、それを知ることを妨げるものが多いからだ。すなわち、確実性というものがないし、人間の生は短いからなのだ。

上記の文章は「無神論者」プロタゴラスを表すものとして古くから言及されてきたが、無神論というよりは、プロタゴラス思想の懐疑主義あるいは相対主義を端的に語るものなのではないだろうか。

詩人哲学者のクセノファネスが「神々について知る者は、人の身で誰もいない」と語ったのに対して、プロタゴラスは「私は知ることができない。」としている。

「人間が万物の尺度であり、各人に真実と思われるものが各人にとって真実である」とする、プロタゴラスの相対主義は、彼自身が「ソフィスト」(教師・賢者)を名乗っていたことと矛盾するのように思われる。

これに関して、プロタゴラスについて述べたプラトンの証言が残っている。

医者が「身の持ち方」をより善い方へと変化させるように、ソフィストは「心の持ち方」をより善い方へと変化させる。

医者は薬品を用い、ソフィストは言論を用いる。

プロタゴラスは、絶対的・客観的基準を否定するが、ここでは「より善い」という、絶対的基準を導入している。

しかし、各人によって変わらない「より善い」という基準の導入こそ、プロタゴラス思想の矛盾点であると同時に、「徳の教師」という存在の理論的根拠であったのだ。

ソフィストと哲学

「教育には素質と練習が必要だ。学ぶには、若い時から始めなければならない。」というプロタゴラスの言葉にもあるように、初期のソフィストは様々な教養を教える教師であった。

しかし、一方で、立身出世のため、物事の真偽にかかわらず自己主張を正当化し、自分に有利なように議論を進める弁論術を教えたために、詭弁家と呼ばれるようになった。

ソフィストは、悪い面ばかりでもない。

彼らは、人間や社会に関心を向け、伝統や習慣に囚われない批判的精神を育てた。

このようなソフィストたちの運動のなかで、哲学の主題は、自然宇宙を説明することから、人間そのものを捉えようとすることへと次第に変化していったのだった。

参考

『ソクラテス以前の哲学者』 廣川洋一著

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