今回は、古代ギリシアの哲学者デモクリトスについて解説します。
デモクリトスとは?
デモクリトス・・・古代ギリシアで前5世紀頃に活躍した自然哲学者。
デモクリトスについては、資料が少し残っている。
「学問における五種競技者」と呼ばれたデモクリトスは、倫理学、自然学、数学、音楽、技術に関する書物を残したとされている。
しかし、本人の書物のほとんどは消失し、現在残されている三百ほどの断片のほとんどが倫理的な内容であったことは、哲学者としてのデモクリトスが有名な現代においては、幸運であったと言えるだろう。
原子論
「レウキッポスが創始し、デモクリトスが完成させた」と言われる原子論であるが、レウキッポスの生涯に関してはほとんど資料が残っておらず、正確なことは分からない。
原子論は、「あるもの」と「あらぬもの」を厳密に区別したパルメニデス及び、エレア学派の考えから始まっている。
しかし、エレア学派のメリッソスによって、「あるもの」についての議論は加速していく。
「あるもの」があるとすれば、それは一としてあるのでなければならない。他方もしそれが一であるなら、それは身体を持たぬことが必然である。だが、それが厚さを持つなら、部分を持つことになるだろう、そしてそれはもはや一ではないだろう。
「あるもの」であることは、必ずしも「身体を持つもの」で、「空間を占めるもの」であることを意味しない。
「空虚」をあるもの(実在するもの)として認めることができるこの思想は、デモクリトスにも受け継がれている。
「あらぬもの」は「あるもの」に少しも劣らずある。
矛盾しているような文だが、「あらぬもの」を「充実していないもの、空虚」と言い換えると、意味が分かりやすい。
次に、原子論者たちは「不可分なもの」、すなわちこれ以上分割できないもの、が存在するか否かについて考えた。
パルメニデスの考えた「充実体」は空間を占有するものであるため、理論的には事物の無限分割が可能であった。
しかし、自然学的には、すなわち現実の感覚的事物に関わる事柄については、無限分割の可能性を否定し、現実世界の事物は、これ以上分割できない、一定の限界を持つと考えた。
原子論者たちにとって真実在の世界は、数と形態において無限な「不可分なもの」、原子が無限の「空虚」のなかに運動しつつ散在する世界であった。
故にデモクリトスは真実在と感覚的事物を分けて考えた。
色は慣習の上であるにすぎず、甘さも慣習の上であるにすぎず、苦さも慣習の上であるにすぎない。真実には不可分なものと空虚あるのみ。
実在としての不可分なもの(原子)は、それ自体としては感覚的性質を一切持たない。色・甘・苦だけでなく、軽・重、硬・軟など、私たちの現象世界における一切の感覚的性質の差異は、原子の形態、配列、位置の相違によって生じる見かけ上の現れに他ならない。
原子論のその後
デモクリトスが完成させた原子論は、ヘレニズム時代のエピクロスやルクレティウスへと継承された。
しかし、原子の基本的構造が科学的に明らかになったのはイギリスの物理学者ドルトンが原子の存在を確信した19世紀の出来事である。
原子の存在が科学的に認められる2000年以上前に、分割できないもの(原子)について考えていた人物がいたことは、現在の我々からは想像もできない。
参考
『ソクラテス以前の哲学者』 廣川洋一著
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