今回は、古代ギリシアの哲学者パルメニデスについて解説します。
パルメニデスとは?
パルメニデス・・・古代ギリシアで前6世紀に活躍した自然哲学者。
南イタリアのエレア出身のパルメニデスは、エレア学派の祖とされます。
彼の著作は、散文による論文のような形式ではなく、ホメロス、ヘシオドスと同じ叙事詩の形式によって書かれていた。
「ある」と「あらぬ」
パルメニデスの著作には、度々「ある」と「あらぬ」についての話が出てきます。
いまこそ 私は汝に語ろう。汝はこの言葉を聞いて心に留めよ。
まことに 探求の道として考えうるのは ただこれらのみ。
そのひとつ すなわち、「ある」そして「あらぬことは不可能」の道は、
説得の女神である。 それは心理に従うものであるから。
他の一つ すなわち、「あらぬ」そして「あらぬことが必然」の道は、
この道は 全く知り得ぬ道であることを 汝に告げておく。
そのわけは あらぬものは汝を知ることもできず それはなしえぬこと、
また 言うこともできぬからである。
真実の探求には二つの道が存在する。
「ある、そしてあらぬことは不可能」の道と、「あらぬ、そしてあらぬことは必然」という道だ。
「ある」を「ある」とする道こそ探求における正しい道であり、「あらぬ」を「ある」とする道は、完全に誤った道である。
道について 語る言葉としてなお残されているのはただひとつ
「ある」ということ。この道にはきわめて多くのしるしがある。
すなわち あるものは不生にして不滅であること。
なぜなら それは総体としてあり、不動で終わりなきものであるから。
それはあったことなく あるだろうこともない、それは全体としてあるもの、
一つのもの、連続するものとして 今 あるのだから。
「ある」ものは生成も消滅も変化もしない。
過去に「あった」や未来に「あるだろう」もあり得ず、「ある」は常にどこまでも「ある」なのである。
「ある」もの以外にある(存在する)ものは何もないので、「ある」ものは一つながりのもので、一様均質なもので、分割されえぬものである。
まことに あるもの以外には 何ものも (今)あることはないし、
(この先)あることもないだろう。運命(モイラ)が あるものを縛めて
一つの総体とし 不動のものとしているのだから。 それゆえ 死すべき者どもが
真実のものと信じて定め置いたものは、全て名目にすぎないことになるであろう。
すなわち「生成する」も「消滅する」も「あり、かつあらぬ」も
「場所を変える」も「明るい色を取り替えることも」。
だが究極の限界がある以上、あるものは あらゆる方向において 完結していて、
玉なす球の塊のように、中心からどの方向にも等距離にある。
「ある」ものは、唯一・不生・不滅・不動・均質一様であり、完全・完結したものである。
参考
『ソクラテス以前の哲学者』 廣川洋一著
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