今回は、古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスについて解説します。
ヘラクレイトスとは?
ヘラクレイトス・・・古代ギリシアで前6世紀頃に活躍した自然哲学者。
ヘラクレイトスは、文体が神託や箴言のように晦渋であったため、「謎をかける人」「闇の人」「暗い人」などと呼ばれていた。
自己を探求するヘラクレイトス
ヘラクレイトス以前と同時代の哲学者たちが、宇宙世界の生成の問題を最重要課題として捉えていたのに対して、彼は自己について考えた。
私は 自分自身を探求した。
自己を認識すること、そして思慮を健全に保つことは、全ての人間に許されていることなのだ。
彼は、外の世界についてではなく、自分自身について追及した。
そして、自己の中でも特に「思慮」と「思考」を大切にしていた。
思慮の健全さこそ最大の能力であり、知恵である。それはすなわち物の本性に従って理解しながら、真実を語り行うことなのだ。
思考はすべてのものにとって共通のものとしてある。
ヘラクレイトスにとって、「思考し、思慮する自己」というのは魂のことである。
しかし、魂は必ずしも良いものではない、と考えていたことが分かる。
言語を解さぬ魂を持つ場合は、目も耳も人間にとっては悪しき証人である。
魂は、認識、理解能力の原理として働いている。
大人もひとたび酔えば、年端もゆかぬ子供に、連れていってもらうことになる、よろけながら、自分がどこへ行くのか知らぬままに。魂を湿らせたからだ。
渇いた魂は この上なく賢く、この上なくすぐれたもの。
魂は正しく働いていれば賢明であり、受け取った情報を解釈し、「自分がどこへ行くか」を理解するものである。
君は 道行くことによっては ついに魂の終端を見出すことはできないだろう、いかに君があらゆる道にそって旅をしようとも。それは それほど深いロゴスを持っているのだ。
ヘラクレイトスと宇宙世界
ヘラクレイトスは、自己の問題を重視していたが、同時に宇宙世界のあり方についても思想を残している。
万人にとって同一のものたるこの宇宙秩序(コスモス)は、いかなる神も人も造ったものでは決してない。それは常にあったし、今もあり、これからもあるだろう。それは常久に生きる火であり、一定の分だけ燃え、一定の分だけ消える
万物(自然万有)は火の交換物であり、火は万物の交換物である。ちょうど物品が黄金の交換物であり、黄金が物品の交換物であるように。
ヘラクレイトスにとって、宇宙は「常久に生きる火」であり、宇宙秩序は「一定の分だけ燃え、消える火」とされている。
そして、火は万物の根源(交換物)である。
火が転化し、まず海となり、海が転化して、半分は竜巻となる。地は液化して海となるが、計量すれば、それが地になる前にあったのと同じ比率となる。
ヘラクレイトスの考える宇宙生成・消滅のプロセスは一方向的なものではない。
火⇒海(水)⇒地のプロセスと、地⇒水⇒火のプロセスが同時並行で行われている。
宇宙世界は常に変化しながらも、全体として同じものであり続ける。宇宙世界は無規定ではなく、一定の限定を持つ意味で、秩序世界(コスモス)である。
火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる。
火の死は空気にとって誕生であり、空気の死は水にとって誕生である。
土の死は水の誕生、水の死は空気の誕生、空気の死は火の誕生、その逆もまた然り。
魂にとって水となることは死であり、水にとって土となることは死である。しかし土からは水が生まれ、水からは魂が生まれる。
魂が宇宙世界の生命原理としての原火に由来し、同質のものとみられている。
更に、個人の魂が宇宙世界における魂と明確な関係を持っている。
ヘラクレイトスにおいて、個人の内的世界としての魂の在り方、内実、構造が宇宙の生ける火としての宇宙的魂と基本的に共通すると認識されている。
ヘラクレイトスとロゴス
そもそも「ロゴス」とは何なのかというと、文脈によって多少意味が変化しますが、「尺度・規矩」「真実」などを意味します。
ヘラクレイトスは、「ロゴス」を「絶えず流動する世界を根幹でつなぐもの」とかんがえました。
真実(ロゴス)は この通りのものとしてあるにもかかわらず、人間どもが そのロゴスを理解するにいたっていないことは 常のことである、彼らがそれを聞く以前も、ひとたび これを聞いた後にも。 なぜなら、すべてはこのロゴスに従って生じているにもかかわらず、人々はそれに実地に出会ったことがないもののごとくである。
人々は、ほかならぬ私が物のそれぞれを 自然本性に従って分析し、そのあり方を説明する言葉や事実のたぐいを実地に体験しているというのに。ところが他の者どもは、眠っている時になしたことを忘れるように、目覚めている時にもそのなすことを覚えていないのだ。
私にではなく かのロゴスそのものに耳を傾けるなら、万物が一なることを認めるのが賢いあり方である。
宇宙万有の一切の生成が従うものであるロゴスは、万物が一なることを示している。
それゆえ、共通なるものに従わなければならない。しかるに、かのロゴスは共通のものであるにもかかわらず、大多数の人間は自分だけの智を持つかのように暮らすのだ。
人間世界において、ロゴスは共通性を持っている。
一緒に結びついているもの。それは、全体と全体ならぬもの。寄せ集められたものと分け離されたもの。調子の会ったものと合わないもの。万物から一が、一から万物が生ずる。
宇宙万有は、相対するものが作り出す調和・統一から成っている。
ヘラクレイトスと人間
ここまで、ロゴスや宇宙万有、魂といった抽象的なものを見てきたが、ヘラクレイトスは人間の努力を放棄したわけではない。
宇宙のロゴスに身をゆだねることは、魂にとって正しいことではあるが、それが全てではない。
人間の運命は その人がらが作るもの。
人の運命は、神によって授けられるという神話的、伝統的価値観を打ち砕く、新しい思想を残していたことが分かる。
人間にとって、何であれ望むとおりになるということは、よいことではない。
人は知らねばならぬ、戦いは共通のものであるということ、そして、争いが正義であり、万物は争いと必然によって生成するのだということを。
ヘラクレイトスは、宇宙世界や魂だけでなく、人間を探求した哲学者であった。
参考
『ソクラテス以前の哲学者』 廣川洋一著
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