クセノファネス(クセノパネス)

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今回は、古代ギリシアの哲学者クセノファネス(クセノパネス)について解説します。

クセノファネスとは?

クセノファネス・・・古代ギリシアで前6世紀頃に活躍した哲学者。ミレトス学派の自然哲学者。

クセノファネスは、自分の思索を詩の形式によって表現したが、決して単なる詩人ではなかった。

残された断片からも、彼が哲学者であったことが分かる。

わが もの思う心をヘラス(ギリシア)の地に あまねくさわがせてより、
はや 六十と七とせ。
うまれてよりその時まで 二十五年がこれに加わる。
これらについて 間違いなく語る力がこの私にあれば

「わがもの思う心」とは「思索」のことであり、25歳から彼は67年もの間思索を続けていたことになる。

クセノファネスの神観念

クセノファネスは、ホメロスやヘシオドスの築いた神観念を批判し、新しい神観念を提示した。

ホメロスやヘシオドスの考えた神は、強大な力や不死、概念を象徴する者であったが、姿かたちは人間に近いものであり、人間と同じように、思考して行動するものとされていた。

しかし、クセノファネスはこれを批判する。

だが 人間どもは思い込んでいる、神々が生まれたものであり、
自分たちと同じ衣服、姿、声をもつと。

エチオピア人は 自分たちの神々が獅子鼻で色黒だといい
トラキア人は 碧眼で神が赤いといっている

神が、人間と同じような衣服、姿、声を持つわけではないと、クセノファネスは考えています。

どの人間も、神は自分たちに似た姿をしていると考えるものです。

だがもし 牛や馬、ライオンが手を持っていたら、
あるいはまた 手によって描き、人間同様の作品を作ることができたなら、
馬は馬に、牛は牛に似た
神々の姿を描き、彼らそれぞれがもつ形姿と
同様な(身体)を作るだろう。

エチオピア人とトラキア人の例と同じように、動物たちも神の姿を描けるとしたら、自分たちに似た姿を描くだろう、と考えています。

では、クセノファネスが考える神とはどういうものか。それを示す断片があります。

一なる神、神々と人間どものうち、最も偉大にして、
その姿においても、心においても、死すべき身の者どもにいささかも似ず。

神は 全体として見、全体として考え、全体として聞く。

神は 苦もなく、精神の思惟によって、すべてを揺り動かす。

神はつねに同じところにとどまり、いささかも動じない。
ときにあちらへ、ときにこちらへと赴くことは、神にふさわしからず。

「死すべき身の者ども」は人間のことだと考えられるので、神は、姿も心も、人間とは全く似ていない存在である。

神は、人間のように特定の器官で見、聞き、考えるのではなく、全体として見、聞き、考えるのである。

また、人間のように行動せず、ただ思考するだけで、あらゆるものを動かすのだ。

クセノファネスと人間

クセノファネスは、人間が完璧な存在でないことを理解していました。

確実なことを見た者は 人間の誰一人としていなかったし、神々について、
また 私の語る限りの すべての事柄について、それを知る者は、これから先も誰もいないだろう。
なぜなら たとえ偶々 この上なく完璧な真実を言い当てたとしても、
しかし 彼自身それを知っているのではないからだ。すべての人間にとっては、ただ 思惑があるのみ。

人間の知には限界があり、相対的なものであるため、人間的知は単なる「思惑」「憶測」にすぎないとし、神のみが確実な「真実」「知識」を持つと語っています。

更に、

これらの事柄は 真実に似ただけのものと思いなすがよい。

と語り、クセノファネス自身も、完璧ではなく、真実を知っているわけではないと考えていました。

しかし、彼は人間の不完全さに絶望していたわけではありません。

まことに神々は 最初から人間どもには明かしはしなかった、
人間は探求しつつ、時とともに、より善きものを発見していくのだ。

人間的知は不完全で、不確実なものではあるが、人間自身の探求によって、より善きものを発見することができると考えている。

クセノファネスと自然

クセノファネスは、自然についても思想を残しています。

地からすべて(自然万有)は生じ、最後にまた地へとすべては還る。

大地のこの上端は我々の足元で 空気と接しているのが
たしかに視認される。だが 下の橋は限りなく延びている。

およそ 生じて生長するかぎりのものは地と水である。

海は水の源、また風の源。
大いなる海なくしては 雲の内部から外に向かって吹き出す
風の力も生じなかっただろうし、
河川の流れも天空の雨水も生じなかっただろう。

大いなる海こそ雲、風、河川の
生みの親。

我々すべては地と水から生じてきたのだから。

クセノファネスが地と水を特に重視していたことが分かります。

参考

『ソクラテス以前の哲学者』 廣川洋一著

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