今回は、古代ギリシアの哲学者アナクシマンドロスについて解説します。
アナクシマンドロスとは?
アナクシマンドロス・・・古代ギリシアのミレトスで前6世紀頃に活躍した自然哲学者。
アナクシマンドロスは、古代ギリシアの哲学者タレスとほぼ同時期に活躍した。
無限なるもの(ト・アペイロン)
アナクシマンドロスは、「アルケ」(元のもの・始原・原理)という名称を最初に用いて、『無限なるもの』(ト・アペイロン)が存在するものどものアルケであり、要素であると述べた。
アルケとしての「無限なるもの」は火でも水でもなく、その質において無限定、無規定なものであるとともに、全宇宙を永遠に生かし養い続けることが可能であるような、空間的量的に無限定、無尽蔵なものでもなければならない。
このようなアルケに基づいて、宇宙生成を説明する文書が、断片ではあるが、アナクシマンドロス本人のものが残されている。
存在するものどもは、それらが そこから生成してきたところの、そのものへと 必然に従って、また消滅するのだ。というのも、それらは、時の定めに従って、たがいに不正にたいする罰をうけ、償いあうことになるからだ。
「それら」というのは、冷・熱や乾・湿など相反する力を持つものを意味する。
宇宙世界は、これらの相互の争い、反応によって成立している。
相対立するもののどちらかが完全な最終的勝利をおさめることはなく、一方が優勢となることがあっても、「時の定めに従って、たがいに不正に対する罰をうけ、償いあう」こととなり、勢力の均衡は保たれ、宇宙世界の秩序は維持される。
昼と夜、夏と冬の規則的な交替は、その典型的な事例である。
このような相対立するものの対抗関係という着想こそ、この宇宙世界が整然たる秩序のうちにあり、宇宙の法に従うコスモス(秩序世界)であることを、最も合理的に説明するものであった。
そして、宇宙生成説(コスモゴニア)の立場からは、その相対立するものの始原、その「元のもの」は、火でも水でもない、対立関係を超越したものでなければならない。
故に、アナクシマンドロスは、「元のもの」は「無限なるもの」(ト・アペイロン)であると考えたのである。
そして、この「無限なるもの」は生命なく動きのない無機的物質ではない。
むしろ、「無限なるもの」は永遠の動きを持つ者、「不死で不壊」のものであり、この意味で「神的なもの」である。
アナクシマンドロスと人間のあり方
アナクシマンドロスは、上のような自然哲学者としての側面のみが殊更に取り上げられるが、彼の著作『自然について』には、自然学・宇宙生成説だけでなく、歴史・地理・文明史等の幅広い学問について書かれていたとされる。
文明史の中で、アナクシマンドロスは、人間の生成・起源について考察していた。
後代の証言として、次のようなものが残されている。(本人の書物ではない)
アナクシマンドロスは、最初人間は別の形態の生物から生まれたと述べたが、それは他の生物はすぐにでも自分でわが身を養っていくのに、ひとり人間だけが長い間の保育を必要とする。したがって原初から(人間が)このようなものであったなら、生きながらえることはなかったろうというのである。
アナクシマンドロスは、人間生成説において、「人間だけが長い保育期間を必要とする」と考えた。
このような視点は、人間の探求を宇宙論・自然学的枠組みの中での考察に終始せず、人間に固有な文化・文明との関連において探求する道を切り開くものであっただろう。
アナクシマンドロスと学問
アナクシマンドロスは、自然学者として宇宙自然の成立と構造だけを探求していたわけではなかった。
アナクシマンドロスは、宇宙自然から切り離された存在ではなく、それと本質的な関係を持つものとしての人間のあり方、その人間的世界全体を視野に入れ、宇宙と人間を一望に収めうるようなそんざいであった。
彼にとって、人間の問題は原理的に宇宙自然の問題と切り離しては論じられず、宇宙自然の問題もまた人間の存在を視野に収めることなしに語られることはなかったのである。
参考
『ソクラテス以前の哲学者』 廣川洋一著
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