今回は、古代ギリシアの偉大な人物たち(ギリシア七賢人)について解説します。
ギリシア七賢人とは?
ギリシア七賢人・・・紀元前7世紀~前6世紀の古代ギリシアにおいて、賢人とされた人物たちのこと。
ギリシア七賢人という名前なのだから、当然7人だと思われがちなのですが、実は7人ではありません。
七賢人は特定の人物が決めたものではないので、七賢人のメンバーは、古代の書物を見ても様々であり、特定の7人に定まらないのです。
七賢人に関する最古の文献資料とされているプラトンの著書『プロタゴラス』では、以下の7人の名前が挙げられている。
- タレス
- ソロン
- キロン
- ピッタコス
- ビアス
- クレオブロス
- ミュソン
しかし、プラトンの『プロタゴラス』以降、数百年にわたって多くの人が七賢人に関する伝承を記録し続けた結果、最大で25人もの人物が七賢人の一人として挙げられている。
その中でも、上記の7人の中では、ミュソン以外の6人は七賢人の一人として挙げられることが多い人物であるが、残り一人はミュソンよりもぺリアンドロスの方が一般的である。
故に、今回はタレス、ソロン、キロン、ピッタコス、ビアス、クレオブロス、ミュソス、ぺリアンドロスの八人について解説します。
タレス

タレス・・・イオニア地方のミレトスに生まれた自然哲学者。自然哲学の祖とされる。
タレスは、「万物の根源は水である」と言いました。
この言葉は、タレスが自然を観察する中で、導き出したものです。
タレスは、紀元前585年の日蝕(日食)を予言したり、地面に映った影と自分の身長とを比較して、ピラミッドの高さを測定したりなど、測量術や天文学を学んでいた。
更に、「タレスの定理」と言う数学の定理も発見するなど、多才な人物だったとされています。
タレスは世界最古の(自然)哲学者と言われています。
タレス以前のギリシアの人々は、ギリシア神話などを根拠にして、世界は神が作ったと考えていました。
しかし、タレスは「万物の根源は水である」と考え、世界が神によって作られているという考えを否定しました。
現代日本に生きる私たちには凄さが分かりにくいですが、キリスト教が絶大な権威を誇っていた中正ヨーロッパでキリスト教を否定するぐらいの衝撃的な考えです。
「世界」の成り立ちを説明するには、必ず神が必要と考えられていた時代において、タレスは神以外のもので「世界」を説明したのです。
ソロン

ソロン・・・古代ギリシアのアテネで活躍した政治家、立法者。
当時のアテネは、貨幣の流通と共に貧富の差が拡大し、貴族と平民の対立が続いていた。
政治家であったソロンは、平民と貴族の双方から支持されて指導者となると、「ソロンの改革」と呼ばれる改革を行った。
- 債務奴隷の禁止
- 負債の帳消し
- 財産政治(市民を財産額に応じて4等級に分ける)
上記のような財産に関わる改革が有名だが、民衆裁判所や評議会の設置など、民主政治を推し進める改革も行った。
ソロンは、僭主政治(独裁)を企んでいたペイシストラトスを批判し、強く抵抗したが、民衆の支持を得られずに、失意のうちに亡くなった。
キロン

※キロンの画像は見つからなかったため、上の石像はスパルタ王レオニダスのものです。
キロン・・・古代ギリシアのスパルタで活躍した政治家、哲学者。
キロンは、スパルタの民選長官となって、周辺国に対抗するため、スパルタの改革を行った。
キロンは無口だったので、当時スパルタでは、キロン風として多弁を慎むことが流行った。
キロンは、デルフォイのアポロン神殿において、「汝自身を知れ」「過度を慎め」「保証は破滅の元」の3つの格言を神殿の円柱に刻んだと言われる。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、「汝自身を知れ」という格言を見て、「無知の知」を思いついたと言われています。
キロンは、自分の息子がオリンピックの勝者となった喜びのあまり死んだという話が残されていますが、真偽は不明です。
ピッタコス

ピッタコス・・・古代ギリシアのレスボス島で活躍した政治家、立法者。
ピッタコスは、エーゲ海に浮かぶレスボス島の首都、ミュティレーネー(ミティリーニ)の貴族として生まれました。
ピッタコスは、レスボス島の僭主メランクロスを詩人アルカイオスの兄たちと共に何度か打倒しましたが、メランクロスも何度も政権に復帰した。
その後、メランクロスに代わってミュルシロスが僭主になると、当初反対していたピッタコスは途中からアルカイオス等を裏切ってミュルシロスに味方した。
アテナイ(アテネ)と戦争になった際に、古代オリンピックのパンクラティオン(総合格闘技のような競技)で優勝したプリュノンという人物がアテネ軍を率いていました。
ピッタコスは、「戦争で多くの血が流されるのを甘受する必要はない。我々が一騎打ちでことを決着させればよいのだ。」と言って、プリュノンとの一騎打ちを提案し、プリュノンも同意しました。
ピッタコスは、楯の後ろに網を隠しておいて、それでプリュノンを巻き込むことで、一騎打ちに勝利したようです。
この功績によって、ピッタコスは国制上の最高の地位に選出されました。
ワインの名産地であったレスボス島では、飲酒した上での犯罪が横行していたので、ピッタコスは「罪を犯したときに酩酊していた者には、その罰は2倍に加重される」という法律を作り、犯罪を抑制しました。
ビアス

ビアス・・・古代ギリシアのプリエネで活躍した政策の提案者、弁護士。
ビアスは非常に優秀な人物であり、弁論術や修辞学、論理学などの分野で優れた能力を発揮し、特に訴訟の弁護において非常に強力な才能を持っていたといわれる。
ビアスは、ある依頼人のために弁護演説をした後、孫の胸の中で息絶えた。
彼は、国家から盛大に葬られたとされている。
祖国イオニアの繁栄を願って、二百行に上る詩を残したとされるが、不明な点が多い。
他にも、彼は様々な格言を残したので、一部を紹介する。
- 大多数の人間は悪い
- 不幸に耐えることが出来ない人こそが本当に不幸な人である
- 何でも君が善いことをしたら、それは神のせいにして、自分のせいにするな
- 不可能なことを欲求するのは魂の病気である。
クレオブロス
クレオブロス・・・古代ギリシアのロードス島で活躍した僭主、詩人。
クレオブロスはロードス島のリンドスに生まれた人物で、体力、美しさが人よりも優れており、エジプト哲学にも通じていた。
クレオブロスの娘も詩人であり、女性(少女)への教育の必要性を認めていた。
彼の墓には、「適度が最善」という格言が刻まれたと伝えられている。
また、クレオブロスは、現在で言う「なぞなぞ」のような文章を残した。
1人の父親と12人の子供がいます。これらのそれぞれの
外観の異なる30人の娘が2回います。
見るのが白いものもあれば、黒いものもあります。
それらは不滅ですが、それでもそれらはすべて消えていきます。
答えは1年であり、白と黒は昼と夜を表しているとされています。
ミュソン
ミュソン・・・古代ギリシアのケナイ村の農夫。
ミュソンは、ケナイという田舎の村で生涯を過ごしたため、多くの人たちに知られることはありませんでした。
ミュソンは、ケナイ村の僭主の息子でありながら、質素な農民として生活していました。
哲学者プラトンが、七賢人の一人として、ぺリアンドロスの代わりにミュソンを挙げたのは、ぺリアンドロスが残酷な人物だったからと言われています。
古代ギリシアの哲学者アナカルシスが、ピュトに赴いて、「ヘラス人たちの中に自分より知恵ある者が誰かいるか」、とお伺いを立てたところ、「ミュソン」の名前が挙がったとされます。
七賢人の一人であるソロンは、ミュソンが暮らした地を尋ね求め、ミュソンが打穀場で鋤に柄をつけていたので、「今は鋤を使う季節ではない、おお、ミュソンよ」と言った。すると相手(ミュソン)が、「使うのではない、用意をしているのだ」と言った。
ぺリアンドロス

ぺリアンドロス・・・古代ギリシアのコリントスで活躍した僭主。
僭主の地位を父親から受け継いだぺリアンドロスは、西方への植民や東方の僭主との協力、エピダウロス国の僣主の娘との結婚などにより、商業網の整備に力を尽くした。
彼の行政手腕によりコリントスはギリシャで最も裕福な都市国家の一つとなった。
公平で公正な王であり、富の分配が平等になるように努めたとする記述もある一方で、残酷で厳しい支配者であったとする記述もある。
ある日、妊娠中の妻が、ペリアンドロスを愚弄しているという噂を聞いた彼は、それを本当のことだと信じて、妻を蹴り殺してしまった。後になって、それが事実ではなく側室たちの誹謗中傷だと知ったペリアンドロスは、その側室たちも全員、焼き殺してしまった。
このように、政治家としては優秀であった一方で、人間性にかなり問題があったと考えられている。
コメント