世界史 名言集

名言
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世界史に登場する様々な偉人たちの名言を紹介していきます。

※随時更新中

ナラム=シン

古代メソポタミアのアッカド王朝の第4代の王であるナラム=シンは

「四方世界の王」

と称しました。この呼び名が日本に伝わって「四天王」の語源になったと言われています。

ハンムラビ法典

バビロン第一王朝のハンムラビ法典に登場するのが

「目には目を歯には歯を」

現代日本でも使われる言葉ですが、当時は過剰な復讐(目をつぶされた仕返しに相手を殺すなど)があったため、目をつぶされた場合、復讐が許されるのは相手の目をつぶすまでという制限を設けたことで、社会が安定した。

同害復讐法の原則に従っているものの、身分により刑罰に差があった。

ヘロドトス

古代ギリシアの歴史家ヘロドトスは

「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」

と言ったことは有名です。

しかし、ヘロドトスは「エジプトはナイル河のおかげで繁栄した」と言いたかったわけではなく、「エジプトという地域はナイル河の氾濫で堆積した土によって作られた土地だ」という意図だったようです。

プロタゴラス

古代ギリシアの哲学者プロタゴラスは

「人間は万物の尺度」

と言い、絶対的真理を否定した。

陳勝・呉広の乱

秦の始皇帝の死後に起こった陳勝・呉広の乱の時に、自身も貧農であった陳勝は農民らに

「王侯将相いずくんぞ種あらんや」

と言った。

「国王も諸侯も将軍も宰相(丞相)も、そのような人種が最初からいたわけではない」(から我々平民と違いはない)という意味で、当時の実力主義の風潮を示す言葉と言われる。

陳勝・呉広の乱は失敗するが、直後に農民出身の劉邦が漢(前漢)を建て、帝位に就いた。

九品中正

魏晋南北朝時代を通して採用された九品中正(九品官人法)は、徳や能力に応じて一品から九品までのランクを付ける制度だったが、次第に変化していき、西晋の時代には、

「上品に寒門無く、下品に勢族なし」

と言われるようになった。

寒門は貧しい家の出身者で、勢族は門閥貴族などの有力者を意味する。要するに、豪族が上級官職を独占していた。

中国繁栄の中心

宋から南宋時代にかけては、長江下流域が農業生産の中心となったことで、

「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」

と言われた。「蘇湖(江浙)地方が実れば中国全土の食料は足りる」という意味。

明代には、農業の中心が長江中流の湖広地方に移ったため、

「湖広熟すれば天下足る」

と言われるようになった。

ジョン=ボール

1381年にイギリスで発生したワット=タイラーの乱の精神的指導者であったジョン=ボールは、

「アダムが耕しイヴが紡いだ時、誰が領主(貴族)であったか」

と述べ、人間の平等を説き、当時の階級社会を批判した。

インノケンティウス3世

13世紀初め、イギリス・フランス王、神聖ローマ皇帝を破門し、教皇権の最盛期を迎えたインノケンティウス3世は、

「教皇は太陽、皇帝は月」

と述べた。これは、ローマ教皇が世俗の皇帝権に優越することを意味する。

トマス=モア

16世紀のイギリスで活躍した人文主義者であるトマス=モアは、著作『ユートピア』において、

「羊が人間を食う」

と述べ、第一次囲い込み(エンクロージャー)を批判した。

※当時、毛織物生産のために、貴族や聖職者が百姓の耕作地を取り上げて羊の牧場として囲い込みを行っていた。

グレシャム

16世紀のイギリスでエリザベス1世に仕えた財政顧問グレシャムは

「悪貨は良貨を駆逐する」

と述べた。

良貨は高品質なので民間で私蔵され、悪貨は低品質なので私蔵されずに流通することから、悪貨のみが流通するようになるという意味。

ルイ14世

17世紀フランスのブルボン朝の国王ルイ14世は、ボシュエの提唱した「王権神授説」に基づく絶対王政を行い、

「朕は国家なり」

と言ったとされ、「太陽王」とも呼ばれた。

フリードリヒ2世

18世紀のプロイセン国王フリードリヒ2世は『反マキャベリ論』を著し、

「君主は国家第一の僕」

と称し、啓蒙専制君主として法を重視し、宗教や言論の自由を認めた。

ゲーテ

18世紀末に起こったフランス革命中のヴァルミーの戦いにおいて、フランスの義勇軍が初めて外国軍に勝利したことに関して、ドイツの文豪ゲーテは、

「ここから、そしてこの日から世界史の新しい時代が始まる」

と評価したと言われている。

しかし、ゲーテはフランス革命に懐疑的であり、反革命軍の一員として参戦していたため、実際にはゲーテの言葉ではない可能性もある。

リンカン(リンカーン)

アメリカ合衆国の第十六代大統領エイブラハム=リンカンは、南北戦争最大の戦闘とされるゲティスバーグの戦いの4か月後に行われたゲティスバーグ演説において、

「人民の、人民による人民のために政治」

を訴え、民主政治の本質を表しました。

ウィーン会議

1814年に、フランス革命とナポレオン戦争の処理のために開かれたウィーン会議が進行しないことから、

「会議は踊る、されど進まず」

と言われた。

フロベール

19世紀フランスの文学者で、『ボヴァリー夫人』などの作品で有名なフロベールは、作品がなかなか売れなかった過去を振り返り、

「君にとって最も栄光ある日とは、成功のその瞬間ではなく、絶望とどん底の淵にあって打たれこづかれ、それでもなお前進しようとするその時である」

という言葉を残している。

彼自身も、低迷期こそが最も良い時代であったと回顧している。

ビレンヌ

20世紀初めのベルギーの歴史家アンリ=ピレンヌは、

「マホメット(ムハンマド)なくしてシュルルマーニュ(カール大帝)なし」

という言葉を残しました。

これは、イスラームの地中海進出という視点から、フランク王国の成立など、ヨーロッパ封建社会の成立を論じています。

ウィンストン・チャーチル

イギリスの首相として、第二次世界大戦を勝利に導き、1953年にノーベル文学賞を受賞したウィンストン・チャーチルは、数多くの名言を残しています。

その中で、最も有名なものは、

「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀に満ちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」

という1947年に下院で行われた演説の中で語ったものです。

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