ソクラテスの無知の知について簡単に解説

名言
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今回は、ソクラテスの格言「無知の知」について解説していきます。

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無知の知とは?

「無知の知」とは、「自分が何も知らないことを知ること」ではありません。

そもそも、日本人なら小学校は卒業している人が多いですから、ある程度の知識はあるでしょう。
また、義務教育が無い国に住んでいる人でも、家族や友人から日常会話は学んでいるでしょう。

何が言いたいかというと、「完全な無知」などと言うのは、生後直後の赤ちゃんぐらいのもので、ある程度成長した人間なら何かしらの知識は持っているはずです。

解釈

では、「無知の知」とは、どのように解釈すれば良いでしょうか?

ソクラテスは、「無知の知」と「自分を知ること」をセットにして考え、自分を知っている人は、自分の無知を知っていると考えました。

そして、「無知の知」とは、「自分の無知を見出すことこそが、無知を自覚することだ」と考えられます。

ここで言う「無知」とは、いわゆる「完全な無知」ではありません。

「自分には知らない事柄がある」「ある分野、領域に関しては無知である」ということです。

実は難しい「無知の知」

自分が全知全能で、「自分には知らないことはない」と思っている人は少ないでしょうから、「無知の知」とは、既に多くの人が身に着けている無価値なものと思うかもしれません。

しかし、実は本当に「無知の知」という知恵を持ち、実践している人は非常に少ないのです。

例えば、プラトンがソクラテスの問答について書いた著書「対話篇」を見てみましょう。

当時、賢者とみなされていた人たちが「正義」「善」「美」などの概念を市民に説明していましたが、彼らの中でそれらの概念に関して実は無知だということを自覚している人はいませんでした。
そして、ソクラテスの問答法によって追い詰められて、初めて自分が無知だったと気付いたのです。

これは、現代の私たちにも当てはまります。

例えば、自分では「知っているつもり」だったけれど、他人から話をされて「実は知らなかった」と気付くことはありませんか?

「何かを知っている」というのは実は物凄く難しいことなのですが、「無知の知」が欠如していると、「自分は知っている」と勘違いしてしまいます。

知識がある人ほど無知?

時々、クイズ王や大学の研究者、何かの分野の専門家が「自分はまだ未熟なので・・・」「私は大して賢くないですが・・・」という様なことを言います。

素人からすれば、「謙遜してるのかな」と思ってしまいますが、実は彼らは自分の無知を自覚しているからこそ謙虚な姿勢なのです。

ある分野について知れば知るほど、逆にまだ自分の知らないことも見えてきます。
だから、知識がある人の方が、自分の無知に気が付きやすいため、「無知の知」を習得しやすいのです。

逆に、知識の乏しい人は、狭い世界で物事を考えるため、自分は「何でも知っている」気になり、「自分の知らないことがある」という知識を得られないのです。

思考力

知識が豊富なのは良いことですが、現在の世界には非常に多くの分野、領域が存在するので、その全ての知識を得るのは物理的に不可能でしょう。

しかし、自分が無知な分野ほど、自分の無知を自覚するのが困難なのは、先ほど説明した通りです。

では、何が必要かと言うと、思考力です。

特に、自分を省みる能力が大切です。

「自分の考えは間違っていないか」「自分は実は無知ではないか」と疑うことで、自分の無知を自覚できるようになります。

そして、知識と同様に、思考力が高い人は「自分は思考力が足りないから自省しよう」と考えるのに対して、思考力の低い人は自省しないので、「自分は思考力が高いはずだ」と考えてしまいます。

自分のことも知らない?

「自分のことを一番知っているのは自分だ」と言う人がいますが、どうでしょうか?

「自分の無知を自覚するのは難しい」ということから考えると、自分のことをあまり理解していない気がします。

また、「人の振り見て我が振り直せ」のことわざがあるように、他人の欠点と言うのは意外と気付くものです。

実際、自分の発言や行動、感情や思考などについて、「なぜそうなったのか」という理由を理解してないことが多いのです。

あなたも、自分の発言や行動について、全て理由を説明できますか?
多くの人は「何となく・・・」と言って言葉を濁すのではないでしょうか

また、自分では分かっているつもりでも、実は分かっていないことも多々あります。

例えば、芸能人や政治家などが不祥事を起こした時に、ここぞとばかりにSNS等で批判する人がいます。

彼らの中には、「ストレス発散でやっている」と自覚している人もいるでしょうが、大多数の人は「正義のために悪を叩いているだけ」と考え、正当化しています。

しかし、残念なことに常に正義のために生きている人間はいません。
どんな聖人でも、自分の利益のために行動することはあります。

人間に利己的な部分があるのは当たり前のことなのですが、彼らは自分の中の悪には目を向けず(というか見て見ぬふりをし)、他人の悪を叩くことで自分が正義だと思い込もうとしているのです。

考えは変わる

「無知の知」という概念を知ると、自分にはまだまだ知らないことがあると気付きます。

すると、自分の現在の考えというのも、今の自分が知っている知識、情報に基づいたものでしかなく、新しい知識を得れば、変わる可能性があります。

だから、「自分の考えが絶対正しい」などとは口が裂けても言えません。

逆に言うと、「専門家」と言われている人の言葉であっても、現在の最先端の情報を基にしているただけなので、10年後、20年後にはそれが誤りだったと証明されるかもしれません。

視野を広げる

「無知の知」を実践すれば、今までよりも広い世界を見ることができます。

今まで、「知っているつもり」だったものが、「実は知らない」と気づくことで、自分の知識を大きく増やすことができます。

そして、知識が増えれば増えるほど、更なる「無知の知」を発見できます。

今現在の狭い世界に十分満足しているなら無理には進めませんが、現状に不満があるなら、是非「無知の知」を実践してみてください。

きっと、今までよりも視野が広がり、知らなかったことを知れるようになるでしょう。

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