今回は、20世紀の哲学者、ジャン・ポール・サルトルについて解説していきます。
サルトルとは?
ジャン・ポール・サルトルは、1905年~1980年まで生きたフランスの哲学者・文学者です。
彼は、フッサールの現象学やハイデッガーに大きな影響を受け、無神論的な実存主義を説きました。
『嘔吐』『自由への道』などの小説や、『存在と無』『実存主義はヒューマニズムである』『弁証法的理性批判』などの哲学書を著しました。
「実存は本質に先立つ」「人間は自由の刑に処せられている」などの言葉を残しました。
実存と本質
サルトルは著書『実存主義はヒューマニズムである』で、「実存は本質に先立つ」と述べました。
人間の本質について、古代ギリシアから多くの哲学者が探求してきましたが、現在でも明確な答えは出ていません。
聖書においても、神が人間を創造したことは書かれていますが、人間の本質については記されていないのです。
サルトルによると、生物以外の物や組織、システムなどは意図や目的が先にあって、作られます。だから、物には本質があります。
では、人間はどうでしょうか?
聖書に書いてあるように神が人間を創造したとすれば、人間を作った意図と目的が存在するはずですが、聖書には書かれていないため、人間の本質は全く分かりません。
また、自分では無神論者と思っている人でも、人間については、宗教の信者と同じような考えをしている人が少なくありません。
「人間には、普遍的な性質がある」と考えている人は、本質主義を信じていることになるため、宗教の信者とあまり変わりません。
サルトルは、「客観的実在としての神は実在しないのだから、神は人間の創造物ではない」と考え、「人間は、意味も目的もなく突然現れたのかもしれない」と考えました。
つまり、人間は本質もない状態で、存在しているのです。
これを、サルトルは「人間の実存は本質に先立つ」と表現しました。
具体例
本質と実存について説明する際に、サルトルはペーパーナイフの例を用います。
ペーパーナイフは一般的に、「紙を切る道具」という本質(目的)に沿って作られたものです。
だから、ペーパーナイフに関しては、「本質(目的)が、実存(存在)に先立つ」と言えるでしょう。
つまり、ペーパーナイフは存在する理由があらかじめ決定されています。
しかし、人間には、ペーパーナイフや他の物のように、何かしらの目的を果たすために作られたのでしょうか?
人間の本質は規定されているのでしょうか?
サルトルは、「人間の本質などない」と考えました。
人間は本質も目的も分からない状態で、世界に存在(実存)してしまっているのです。
生まれた瞬間に、人生の全てが決定している人はいません。
対自存在と即自存在
事物は、本質が固定されていて、「それ自体において存在している」ため、即自存在と呼びました。
物は、他の物とは関係なく、別の物にはなり得ないので、物はそれ自体でしかありません。
それに対して、人間には意識があり、自己の存在を自覚しているため、事物や他の人間との間に関係が存在することから、人間は「対自存在」と呼ばれます。
故に、人間は、将来の自由で開かれた可能性に向かって過去の自己像を超越することができるのです。
事物は、作られた本質以上のことはできません。
しかし、人間には本質が存在しないため、過去および現在の自分から、いくらでも変化することができるのです。
投企と無と自由の刑
将来の自分の可能性を実現するために今から生き方を変えて行動する姿勢を、サルトルは「未来の可能的な行動を企てる」という意味で、投企(投企的存在)と呼びました。
しかし、未来の可能的のために生き方を変えるには、現在の自分の固定した足場を崩し、空無のごとき自由な存在になる必要があります。
自分がどんな投企をするにしても、人間は常に自分を無にし続けなければ、投企は続かないのです。
更に、投企を続け、現在望んでいる姿になったとしても、その時点で全ての可能性が消え、自分の存在が固定されるわけではありません。
むしろ、更なる自由な可能性の中から、自ら選択して、自分を無にして投企し続けるのです。
故に、人間は、投企を続ける限り、現在の自分は常に無でい続けなければならないのです。
これが、実存的な自由で生きるということであり、いつまでも消えない不安が付きまとう人間に課された避けられない刑なのです。
サルトルは、この状態を「人間は自由と言う刑に処されている」と表現しました。
アンガージュマン
サルトルは、社会参加のことを「アンガージュマン」と呼びました。
人間は社会の状況の中に投げ出され、拘束された存在だと考え、個人の立場に関わらず、否応なしに世界(社会)との関わって生きるのです。
社会の状況は、客観的な固定したものではありません。
人間は、社会に参加することによって、一定の状況の中に自己を拘束し、その社会を自らの自由な行動によって、新しい状況へと作り変えることができます。
「人間が自己のあり方を決定することは、他者や全人類のあり方を決定することと同義である」と考え、私たちは、全人類の運命に参加しているのである。
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