今回は、イギリスの哲学者・経済学者ジョン・スチュアート・ミルについて解説していきます。
J.S.ミルとは?
ジョン・スチュアート・ミルは、ロンドンに生まれ、ベンサムの協力者であった父に、幼少期から英才教育を受けました。
ベンサムの功利主義を学んで普及に努めましたが、内面的な感情の大切さを理解すると、ベンサムの思想を修整しました。
ベンサムとミル
ベンサムは、最大多数の最大幸福を提唱し、個人の幸福の総計が社会全体の幸福と考え、量的功利主義の立場でした。
それに対して、ミルは快楽には、質的な差が存在するという質的功利主義を提唱しました。ミルの功利主義では、快楽の量が少なくても、質が良ければ幸福だと考えます。
ミルの考える人間の尊厳
著書『功利主義』において、人間の尊厳について考えました。
動物の快楽をたくさん与える約束がなされたからといって、何かの下等動物に変わることに同意する人はまずいないだろう…人間は誰でも、何らかの形で(人間としての)尊厳の感覚を持っており、高級な能力と厳密にではないが、ある程度比例している…満足した豚であるよりは、不満足な人間である方が良く、満足した愚者であるよりは、不満足なソクラテスである方が良い。
人間は、無意識のうちに人間としての尊厳を持っているのです。
例えどれだけ身体的な快楽を得たとしても、私たちは精神的な快楽を追求するものです。
私たちは、身体的快楽を十分に得られていないかもしれませんが、それでも精神的快楽を追求できる「人間」という立場を捨てたいとは思わないでしょう。
仮に、世界最高級の食べ物が毎日食べられるとしても、自ら進んで家畜になる人間はどれだけいるでしょうか?
人間は、普段はあまり意識していないかもしれませんが、「人間の尊厳」を大切にしているのです。
ミルの考える道徳と正義
ミルの少し前に活躍した哲学者カントは、「~するべきだ」という無条件の定言命法を道徳の基準としました。
現代の私たちも、「正義」と言うと実利や快楽とは異なるもので、悪を裁き弱者を助けるような美しいものを考えてしまいがちです。
しかし、ミルは正義は実利に沿うものであり、その意味で一般的功利なのです。仮に、正義が功利とは無関係のものだとしたら、正義は社会に利益をもたらすどころか、悪影響を及ぼす恐れさえあります。
例えば、「他人の物を盗んではいけない」という正義、道徳は「禁止した方が社会が安定し、結果として人々にとって有益であるから」であって、決して「神が定めたから」などではありません。
カントの道徳観に関する考えも一つの素晴らしい基準ではあるのですが、「神」という絶対的で人間以外の存在に正義の根拠を求めるものであるため、現代の私たちからすると古い道徳観だと思ってしまいます。
それに対して、「ミルは正義の根拠はあくまでも人間の関係性の中にあるべきだ」という考えは、現代の私たちでも共感できるのではないでしょうか。
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