今回は、近代の哲学者キルケゴールについて解説していきます。
人物像
キルケゴールは、デンマークの思想家であり、実存主義の先駆者とされます。
キルケゴールは、コペンハーゲン大学で神学を学んだ人物であり、有神論的実存主義者に分類されます。
有神論的実存主義とは、神・超越者という絶対的存在をへと関わる主体的決断を説くものであり、他にはヤスパースやマルセルなどが当てはまります。
反対に、神への信仰を否定し、人間の立場で主体的な実存の確率を目指す考えは無神論的実存主義と言われ、ニーチェや前期のハイデッガー、サルトルなどが有名です。
大衆社会批判
キルケゴールは、大衆の中に埋没する現代人を批判し、「現代人は、マスコミの情報に流され、思考や行動を画一化、同質化されて主体性を喪失している」と主張しました。
現代人は無気力で惰性的な生活に埋没し、生きる情熱や意欲を失っていると批判しました。
あなたも、思い当たる節があるのではないでしょうか?
「何となくやる気が出ない」「生きる意味が分からない」と考える人は少なくありません。
キルケゴールは、「自己の生き方を自ら選択し、決断に対して自らが責任を負う主体的な生き方をするべきだ」と考えました。
人間の実存と自己
キルケゴールは、著書『死に至る病』において、自己について次のように述べています。
自己とは、自己自身に関わる1つの関係である
キルケゴールは、実存を自己自身へと関わる精神として定義しました。
人間は、物のように客観的に存在しているわけではありません。人間は、自己自身へと自覚的に関わり、自己のあり方を主体的に選択していく存在なのです。
この考え方は、サルトルの「対自存在と即自存在」の考えに受け継がれています。
主体的真理
キルケゴールは、ヘーゲルのような客観的・抽象的な真理を追求する哲学を批判し、今ここに生きている実存としての自己が、人生において主体的に実現する真理を求めました。
キルケゴールが22歳の時に旅行中に書いた日記の言葉によく表れています。
私に欠けているのは、私は何をなすべきか、ということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ・・・・・私の使命を理解することが問題なのだ・・・・・私にとって真理であるような真理、私がそれのために生き、そして死にたいと思うような理念を発見することが必要なのだ。いわゆる客観的真理などを探し出してみたところで、それが私の何の役に立つのだろう。
キルケゴールの日記
キルケゴールは、一般的・普遍的な真理をではなく、かけがえのない私の人生を生きることで、自分にとっての個別的・具体的な真理を求めました。
キルケゴールは、「主体性こそが真理である」とし、「自己が如何に生きるか」という実存の主体性に真理を求めました。
あれか、これか
キルケゴールは、ヘーゲルの弁証法的な考えを批判しました。
弁証法は、「あれも、これも」両方を求めるものですが、キルケゴールは「あれか、これか」の一方のみを情熱的に選択するべきだと考えました。
人生には無数の選択がありますが、私たちは両方を求めてしまいがちです。しかし、「二兎追うものは一兎も得ず」のことわざが示すように、欲張っても失敗してしまいます。
故に、人間は自分の人生を賭けて選択をするべきだと考えました。
実存の三段階
人間が、本来的な自己のあり方としての実存に目覚めるためには、三つの段階があります。
- 美的実存「あれも、これも」
- 倫理的実存「あれか、これか」
- 宗教的実存「真の自己を回復する」
美的実存
第一段階の美的実存では、「あれも、これも」と刹那的な快楽を追い求めます。
享楽や欲望の奴隷となり新しい快楽を追い続けるため、いつまでも欲望が満たされずに自己を見失い、倦怠感や虚無感により絶望に陥ります。
倫理的実存
第二段落の倫理的実存では、自己の良心に従って「あれか、これか」の選択をして倫理的な義務を果たし、人生を真剣に生きようとします。
しかし、倫理的に生きようとするほど、自己の罪深さや無力さを思い知らされて絶望に陥ります。
宗教的実存
美的実存、倫理的実存の段階を経て、絶望と不安の中にある人間が、神の前に一人で立ち、神を信仰します。
人間は永遠の神と関わることを絶対的な目的として、世俗の生活における快楽や欲望などを放棄します。
このように、世俗的な生活を送りながらも、精神の内面においては世俗の社会から離れて、永遠の神の前に一人で立つ単独者として生きるのです。
例外者
実存としての自己は、一般的なものの外にある孤独で例外的な存在である、とする考えです。実存は、一般的・普遍的な問題ではなく、唯一で独自な自己の存在の問題です。
キルケゴールによると、人間は孤独な例外者であると自覚することで、自己の存在の超越的な根拠である神との出会いへと導かれるのです。
逆説(パラドックス)
まず、辞書で意味を確認します。
逆説(パラドックス)
広辞苑
①衆人の受容している通説、一般に真理と認められるものに反する説。「貧しき者は幸いである」の類。また、真理に反対しているようであるが、よく吟味すれば真理である説。「急がば回れ」「負けるが勝ち」の類。パラドックス。
②外見上、同時に真でありかつ偽である命題。
簡単に言うと、一般的な考えと矛盾する説のことです。
キルケゴールは、永遠の神と有限な人間が関わるという矛盾を、全存在をかけた情熱的な信仰によって解決しようとしました。
この考えは、ヘーゲルの量的弁証法とは異なり、実存的弁証法・逆説的弁証法と呼ばれます。
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