今回は、古代ギリシアの哲学者であるソクラテスについて解説していきます。
ソクラテスとは?
ソクラテスは紀元前5世紀にアテネに住んでいました。彼は、印象的な性格をしていたと言われています。
彼は、あらゆるアテネ市民に質問をしました。
質問は、人々の行動に対して、「なぜそのようにしたのか?」を訊ねるものでした。
そのせいで、アテネ市民から嫌われ、しまいには政治紛争との関連も疑われ、国家の危険分子とみなされるようになりました。
そして、紀元前399年、70歳の時にソクラテスは毒を呑まされて処刑されました。
また、ソクラテス自身は何も書物を残しませんでしたが、弟子のプラトンや当時の人々によって、人生や思想が記録されました。
思想・探求の出発点
ソクラテスが哲学、人間探求を始めるきっかけとなったと言われる2つのエピソードを紹介します。
アポロン神殿の箴言(格言)
デルフォイのアポロン神殿の柱に「汝自身を知れ」という箴言(格言)が刻まれていました。ギリシア七賢人のキロン、もしくはソロンの言葉とされますが、確証はありません。
元々は、「身の程を知れ」、「自分のことを忘れるな」という処世術の教訓でしたが、それをソクラテスは「自分の知を自覚せよ」という思索的な意味に解釈した。
これがソクラテスの思想の原点と考えられています。
デルフォイの神託
古代ギリシアの聖地デルフォイには、古くから予言の神アポロンを守護神として祀る神殿があり、 巫女の口から神のお告げが下される神託所として有名でした。
デルフォイを訪れたソクラテスの友人が、「ソクラテスより知恵のあるものはいるか」と尋ねたところ、「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という神託を受けました。
ソクラテスはその意味について考える中で、「無知の知」を発見したとされています。
無知の知
「無知の知」とは
自分が無知であることを自覚する
という意味です。
「ソクラテスより知恵のあるものはいない」という神託の真偽を確かめるために、ソクラテスは、賢者と言われている人々の所を訪れ、問答法によって質問を繰り返した。
そして、賢者と言われている人が、実は「知らないのに、何かを知っているかのように思い込んでいる」ことに気づき、自らの無知を自覚している自分の方が知恵のあることを悟りました。
ソクラテスはこの「無知の知」を思想の出発点にし、魂や、徳についてなど、真の知恵を探求し続けました。
問答法
問答法とは、
対話によって相手の矛盾・無知を自覚させ、相手に真の知恵を発見させようとする、ソクラテスの心理の探求方法
のことであり、相手が真の知恵を見出すのを手伝うことから助産術とも呼ばれます。
ソクラテスは、質問に対する相手の答えと矛盾する事例(反例)を提示して相手の論拠をつき崩し、相手に無知を自覚させることで、矛盾する事例(反例)をも含むより高次の考え方へと導き、魂の徳についての真理を見出させました。
善く生きること
ソクラテスの思索は「善く生きること」を目的にしています。
ソクラテスによると、大切なのは「ただ生きるということではなく、善く生きるということ」です。
そして、「善く生きる」ためには、「魂の配慮」によって、徳をそなえた優れた魂を持って生きる必要がある、と語りました。
魂(プシュケー)・・・ソクラテスは魂を、「人間を人間たらしめる人格的な中心であり、自らの生き方について判断し、行動する倫理的な主体性の原理」としました。
徳(アレテー)・・・魂にそなわる優れた性質のことであり、知恵・節制・敬虔・正義などの徳とは何かを知ることによって、「善く生きる」ことが出来るとした。
魂の配慮(魂の世話)・・・自らの魂に徳がそなわるように気づかい、魂が優れたものになるように世話すること。
知徳合一・知行合一
知徳合一とは、
「善く生きる」徳(アレテー)が何かを知れば、徳についての知識に基づいて誰でも正しい生き方へ導かれるだろう
という考えです。
ソクラテスは、「人間は誰でも自分なりの方法で善を求めており、自ら進んで悪を求めるものはいないが、何が善であるかを知らないから悪に陥ってしまう。」と語っています。
故に、徳についての正しい知識を持てば、その知に導かれて「善く生きる」ことができる。
このようなソクラテスの信念は、「徳は知である」と言われます。
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